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色々な地方に住んだからこそ思う方言の文化的特性~地域によって言葉が違うのはなぜだろう~

みなさんこんにちは。このブログを書いている東急三崎口です。

今回は雑記です。雑記3連投ですいません。週末には本来のテーマであるカラオケの記事を上げる予定です。前回の雑記では日本にこれほど鉄道路線が必要なのかということについて書きました。今回は、色々な地方に住んだからこそ思う方言の文化的特性について書きます。実は今日は、17時過ぎに仕事を終えて、飲んでいました。飲んだ後に書いているので、いつもより少し短めです。

関西弁との出会い

私は、実家が九州で中学生から高校を卒業して1年後まで九州に住んでいました。九州に住んでいると、東京や関西とは違う九州ならではの方言を話していたわけです。ずっと同じ地域で生きていると感じにくいですが、今でも日本には地域によって方言が残っています。方言の違いを意識的に理解したのは、高校卒業後大学入試に落ちたので浪人をして駿台予備校に通っていた時のことでした。当時、駿台予備校の福岡校に通っていました。駿台予備校の福岡校には、関西から講師がわざわざやってきて講義をするシステムでした。そこで、物理の講義を担当していたある講師が、こてこての関西弁の方でこのとき人生で初めて関西弁をまじめに理解しないと講義の内容がわからない状況になりました。関西弁は日本の中でメジャーな方言の一つでしょうから、他の方言と比べて理解するハードルは低いかもしれませんが、最初は方言の違いに戸惑った覚えがあります。その中で、今でも覚えているのが、「〇〇せんと」という言葉の使い方です。

「〇〇せんと」というのは、関西弁では「○○しないで」という意味になります。使い方としては、「だらだらせんと仕事して」というような使い方になります。標準語で言うと、「だらだらしないで仕事して」という意味です。ここまでは、単なる関西弁の使い方の話なんですが、九州の方言でも「○○せんと。」という使い方があったんです。ここで「○○せんと。」とあえて最後に句点を入れているのがミソです。九州のどこかは言いませんが、私の実家があった地域は、「〇〇せんと。」と言うと、「〇〇しないの。」といった意味になります。例えば、「喧嘩せんと。」というと「喧嘩しないの」といった意味になります。

実家にいた頃は、「〇〇せんと。」というのは「○○しないの。」という意味で、かつ句点で終わる使い方しか知りませんでした。しかし、駿台予備校の物理の講師は「○○せんと、~」と○○せんとで終わらずに、話を続けているではありませんか。これを最初に聞いたときにかなり違和感を持ちました。方言の違いと言ってしまえばそれまでなんですが、同じ語句を使うのに使い方が違って、同じ言葉でも方言によって伝わり方が変わるんだなぁと思ったことを覚えています。

さこけといらが

もう一つ、地域によって呼び方が変わるものを実体験として感じたものがあります。小学生から中学生に上がるタイミングで、私は山梨県から九州へ引っ越しました。理由は色々あるんですが、とりあえず中学生だった私の間隔では、家も変わりましたが、周りのしゃべっている人の言っていることがよくわからなかったのを覚えています。中学生になってしばらくして、移り住んだ九州にも慣れたなぁと思っていたころ、印象的な出来事がありました。ある毛虫に刺された人がいて、刺した毛虫の名前をみんな「イラガ」だと言っていました。私は、山梨で同じ毛虫を見たときにその虫の名前が「サコケ」だと教えてもらったので、サコケだと主張したんですが、それを聞いた人はぽかんとしていました。5~6人その場にいたんですが、全員ぽかんとしていたので、自分が何か間違ったことを言っていたのか?と思ってしまったくらいです。結局あとから調べてみると、その毛虫は一般的には「イラガ」と呼ばれているんですが、山梨の方言では「サコケ」いうそうです。そりゃ標準語で「イラガ」ならイラガでしょでしょって思う方が多いと思いますが、山梨出身の知り合いがいたら、イラガ(厳密にいうと、成虫ではなくて幼虫の毛虫の状態をサコケといっていました)の写真を見せて、これなんて呼ぶ?って聞いてみてください。多分、山梨で育った人は、十中八九サコケって言うんじゃないかと思います。

地域で単語が異なる所以

ここまで、地方によって同じ字面でも使い方が違う言葉と、同じものを指しているのに呼び方が違う例を出しました。この2つを見たときに、疑問に思うのはなぜ日本では地域によって単語や言葉の使い方がこれほど変わるんだろうか?ということです。同じものを見て、「イラガ」と「サコケ」では全く発音も違いますし、似ても似つかぬ名前がついているわけです。現代から考えると、地方によって言葉が変わるのは、遠距離の人とコミュニケーションを取るときに障壁になりうるので、一般的には双方標準語を使うか、片方の方言に合わせるパターンが多いかと思います。方言は、現代のように交通インフラが発達していない時代から文化的に引き継がれてきたものですが、なぜ地域によって使う言葉が異なるのでしょうか。

方言は自分のコミュニティと他のコミュニティを区別する手段だったのではないか

私が思うに、交通インフラが整っていなかった時代から方言が存在した理由としては、タイトルにも書いたとおり自分の所属するコミュニティとそれ以外のコミュニティを区別するためだったのではないかと考えています。表向きには、地域の交流が現代ほど盛んではなく、地域同士が現代と比べて独立した世界であったので、その独立した世界の中で言語が最適化されていった結果方言が生まれたというのはわかりやすい話ではあります。実際、そうであった可能性も大いにあります。しかし、話している言葉というのは、そう簡単に変えることはできないわけで、地域間の交流が無ければ無いほど「方言」が違えば明らかに別のコミュニティから来た人であることがわかります。例えば、現代でも九州から関西にいきなり来た場合、「自分」は関西弁を話せないけれども、「他人」はほぼ関西弁を話しているわけです。目に見える線が引かれているわけでは、ありませんがイントネーションも違えば、単語も違うわけで、関西弁が話せない人がバリバリ関西弁を話す人と会話しようとすると会話のリズムを保つのが難しく感じるはずです。このように、現代でも意識的に引かれているわけではありませんが、方言の持つ地域性、つまり自分のコミュニティに所属している人かどうかという線はあるわけです。

まとめ

今回は、色々な地方に住んだからこそ思う方言の文化的特性について書きました。いつもより短めですが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。記事の中でよくわからない点や、内容についてご指摘がありましたら、コメント欄かお問いあわせからご連絡いただければお返事できるようにいたします。それでは、今回はここまでです。次回の記事でお会いしましょう。

雑記

Posted by tokyu351