みなさんこんにちは。このブログを書いている東急三崎口です。
今回は、京都鉄道博物館に行ってきたので京都鉄道博物館についてと、お目当てだったマイテ49について書いていきたいと思います。
日本にある鉄道系博物館の一つ
京都鉄道博物館は、京都駅の近くにある鉄道博物館です。鉄道の博物館なんてあるのかと思われた方もいらっしゃるかと思います。実は、京都鉄道博物館だけではなく、日本を探すと意外とあるんです。メジャーなところでいうと5つくらいあります。他にもありますけど、展示車両の数と見どころを考えるとまずはこの5か所になるかと思います。
- 鉄道博物館(埼玉)
- 京都鉄道博物館(京都)
- リニア・鉄道館(愛知)
- 九州鉄道記念館(福岡)
- 碓氷峠鉄道文化むら(群馬)
この5か所は全部行ったことがありますが、埼玉の鉄道博物館・九州鉄道記念館・碓氷峠鉄道文化むらの3か所は行ったといっても15年以上前なので改めて訪れたいと思っているところです。京都鉄道博物館とリニア・鉄道館は比較的最近行きました。というか、できたのが比較的最近なので当たり前っちゃ当たり前です。
碓氷峠鉄道文化むら以外の4か所は、JRがかかわって自社の鉄道車両を展示している毛色が強いです。碓氷峠鉄道文化むらは少し毛色が違って、群馬県と長野県の県境にある碓氷峠のふもとに作られています。碓氷峠は鉄道で超えるのが非常に難しく、明治時代に鉄道路線が建設されて以降、特別な装備をしないと峠を通過できないほどでした。そのため、碓氷峠のふもとには特別な装備をするための準備をする拠点が置かれていたんですね。しかし、1997年に北陸新幹線が長野まで開業すると同時に碓氷峠の区間は鉄道が廃止されてしまいました。特別な装備をする拠点として、碓氷峠のふもとに鉄道関連施設があったんですが、碓氷峠の区間が廃止となり役目を終えたわけです。その後、もともと碓氷峠を超えるための鉄道関連施設が改修されて、碓氷峠鉄道文化むらになっています。碓氷峠鉄道文化むらの公式サイトはこちらです。関東からだと行きやすいですが、関西からだとちょっと行きにくい場所にあります。碓氷峠鉄道文化むらについてこれだけ書いているのは、私自身が行きたい気持ちが強いからなんですが、頭文字Dでも出てきたくらい険しい峠道として有名で、国道沿いにかつての鉄道の遺構がそのまま残されています。有名なものでいうと、めがね橋なんかがあります。実際に行ったこともありますが、想像しているより大きくてきれいです。行ったことが無い方は、機会があればぜひ行ってみてください。
JR西日本の車両が多めだがジャンルは広い
さて、今回は京都鉄道博物館の大まかな展示車両を紹介します。JR西日本に所属していた車両が多いですが、ジャンルは広めで新幹線・機関車・特急型車両・客車・通勤型車両まで広くカバーされています。その中で、新幹線・機関車・特急型車両を取り上げます。
新幹線
まずは、新幹線の展示車両についてです。京都鉄道博物館に展示されている新幹線車両は、0系、100系、500系です。すべて、東海道山陽新幹線で使われていた車両です。東海道山陽新幹線で使われていた車両で、引退したのに展示されていないのは300系ですが、300系はリニア・鉄道館に展示されているので愛知県まで行けば見ることができます。
それぞれこんな感じで展示されています。



0系は、東海道新幹線が1964年に開業したときに使われていた車両です。私の同世代は、0系に乗ったことが無い方もいらっしゃるかもしれません。逆に言うと、40代より上の世代であれば、新幹線といえば0系のイメージなのではないでしょうか。
100系は、0系が出てから初めて新しい新幹線の車両として開発された車両です。1985年に投入されているので、0系と比べれば比較的新しい車両です。登場当初は、2階建て車両も連結されていて、食堂車も連結されていました。今から考えると、新幹線に食堂車がついているって考えられないですよね。当時としては、先進的なデザインでしたが、その後300系がデビューして次第に活躍の場所が狭められていきます。晩年は、山陽新幹線のこだま運用で活躍していましたが、引退しました。
500系は、今でも走っている車両もあるので見たことがある方も多いかと思います。新幹線で初めて時速300kmを営業運転で出した車両で、斬新なフォルムをしています。JR西日本が飛行機に対抗するために開発した車両で、1997年にデビューしました。500系は、何度も乗ったことがあり、山陽新幹線区間で300kmを出している時には車内にテロップが流れていたのを思い出します。今では、東北新幹線で時速320km運転が行われていますが、25年近く前の1997年に300km運転をしていた500系の斬新さには驚かされるものがあります。諸事情で、東海道新幹線への乗り入れとのぞみ運用は無くなり、今は山陽新幹線内のみのこだま運用についています。こうなった時に、500系は300kmを出す必要がなくなったので、今では最高速度285kmで運用されています。ですので、500系に乗ったとしてもかつての300km運転を体験することはできません。とはいえ、まだ現役の500系に乗れることはありがたいことなので、一度も乗ったことが無い方はぜひ乗ってみてください。他の新幹線車両と違って、車体の丸さに驚くと思います。
機関車
新幹線について、書きすぎてしまいました。次は機関車です。京都鉄道博物館には、結構機関車も展示されているんですよね。新幹線や特急型車両は花形ですが、機関車に興味がある方は相対的に少ないかもしれません。(個人的には好きなんですが。)解説すると、長くなりすぎるのでさらっと写真を載せておきます。



車両形式の細かい差はありますが、どれもほぼ本線上では見られなくなっています。EF66の0番台は、EF66 27が現在本線上を走れる唯一の生き残りですが、本線上を機会はほとんどないことがJR貨物から発表されています。幸いなことに、本記事執筆日(2022/8/13)の1週間後の2022/8/20~28にかけて京都鉄道博物館で展示されることがアナウンスされているので、実物を見たい方はぜひ京都鉄道博物館に行ってみてください。
特急型車両
新幹線・機関車ときて、次は特急型車両です。特急型車両も、私と同世代の方はあまり乗ったことがない車両が多いかもしれません。



左から、489系、583系、キハ81系です。これらの車両は、もう本線上では走っていません。(厳密なことを言うと、489系の同系列の485系を改造したお座敷列車が2本残っていますが、団体列車での運用が基本なので営業列車で乗ることは基本的にできません。)どれも、歴史に名を刻む迷列車ばかりです。私自身実際に乗ったことがある車両はないので、これらの車両は歴史として知っているだけの存在です。
ここで、少しばかり寄り道を。初めの方で、碓氷峠鉄道文化むらのことについて触れました。実は、碓氷峠の区間を通過するためには特別な装備をしないといけないことを説明しました。この特別な装備というのは、その区間だけ機関車を2両連結することです。機関車を連結するだけではなく、車両側にも対策をしないといけないことになっていました。(例えば、強い力がかかっても破損しないように連結器を強化したり、空気バネの空気を抜く装備などです。)この装備が車両側についているかどうかを判別するためのマークがあり、通称「横軽通過対策済マーク」とか「Gマーク」と呼ばれていました。ご丁寧に、京都鉄道博物館に並んでいる489系にはGマークがつけられていたので紹介します。こんなの、知らない人は絶対気づけないんですけどね。。。


左側が、489系の車両番号(クハ489-1)で右側が583系の車両番号(クハネ581-35)です。左側のクハ489-1の「ク」の字の左側に赤い丸がついているのがわかりますか。これが通称Gマークと呼ばれていたものです。これだけと言ってしまえばこれだけなんですが、右側のクハネ581-35の「ク」の字の左側には入っていません。これで、当時は碓氷峠を超えるための車両側の対策がなされているかを判別していたそうです。碓氷峠を超える区間は、1997年に廃止されたのでもう25年ほどたっていますが、現役の車両でもGマークがついている車両があると聞いたことがあるので、もしかしたらついている車両があるのかもしれません。碓氷峠を超えたことがある車両ってだけでも、レアになってきている時代なのでGマーク付きの車両を見られたらとても幸運です。という、気づける人にしか気づけないネタでした。
もともとは梅小路蒸気機関車館だった
京都鉄道博物館は、2016年に開業しました。開業してから、6年ほどしか経っていない新しい博物館です。新しいといっても、それには理由があります。関西地区の鉄道博物館系の施設は、「梅小路蒸気機関車館」と「交通科学博物館」がありました。もともと、京都鉄道博物館が建っている場所の隣には梅小路蒸気機関車館という蒸気機関車を保存している施設がありました。今でも、梅小路蒸気機関車館があったところには蒸気機関車が多数展示されています。また、梅小路蒸気機関車館は蒸気機関車をメンテナンスしている現役の施設でもあり、建屋の中では蒸気機関車の修理点検等が今でも行われています。交通科学博物館は、大阪の弁天町駅の高架下にあり鉄道に限らず交通関連の展示が行われていたそうです。(開館しているうちに行きたかったんですが、結局いけずじまいでした。)交通科学博物館の敷地が手狭になってきたことから、梅小路蒸気機関車館と統合する形で、京都鉄道博物館が誕生したと言われています。
お客さんは子供連れが圧倒的に多い
今回、祝日に京都鉄道博物館に行きましたが、お客さんは圧倒的に子供連れが多かったです。それを象徴するような写真がこちらです。

子供連れが多いですよね。それは、当たり前といえば当たり前かもしれません。夏休み期間だったのも影響しているかもしれませんが、普段生活しているうちに子供がこんなに多いところに行くことは無かったので正直戸惑いました。それを見て、20代後半の私が見ても歴史としての鉄道車両が多いのに、今の子供から見たら500系も乗ったことが無い新幹線になってしまう可能性が高いことに少し寂しさを覚えました。私が子供の頃は、ここに写っている583系や489系もギリギリ現役で走っていましたし、500系は東海道山陽新幹線の花形運用をこなしていました。子供の頃に現役で走っていた車両が、15年経つと博物館入りしてしまうわけですから、鉄道車両というのは乗りたいと思ったときにちゃんと乗っておかないと一生乗れなくなってしまうんだということを改めて実感しました。
今回のお目当てのマイテ49とは
実は、ここまでの内容は京都鉄道博物館の常設展示とよばれるものです。常設展示は、基本的に博物館のメインの展示でいつ行っても見ることができる展示なわけです。私は、過去に一度京都鉄道博物館には行ったことがあったので、常設展示の内容はすでに見たことがあったわけです。今回京都鉄道博物館を訪れた理由は、タイトルにも書いたとおり「マイテ49」を見ることです。マイテ49についてご存じない方が多いと思うので、少し紹介します。マイテ49は、戦前の1938年に製造された客車で、展望席を持っている車両です。今ではほとんどないですが、当時は鉄道の座席の区分は1等車、2等車、3等車と3等級に区分されていて、その中で最上級の1等車でした。マイテ49の「イ」というのは、1等車であることを示すイです。(1等車がイ、2等車がロ、3等車がハです。イロハ順にあてはめたようです。)現在では、「グリーン車」と「普通車」の2等級制になっているので、「イ」の記号が使われることはほとんどありません。(ほとんどありませんと言っているのは、JR化後の豪華観光列車で一部使われている例があるからです。)新幹線が開業する前の、東海道本線の特急に使われていて1961年にいったん廃車になりました。その後、交通科学博物館に保存されていましたが、1987年に国鉄が分割民営化されるときの記念事業として、本線上を走れるように復元され、現在でも本線上を走れるようになっています。といっても、ここ10年くらいは本線上を走った記録はないようです。80歳越えの現役車両を見ることができる機会なんて、それほどないでしょうからわざわざ見に行ったわけです。
マイテ49は、特段展示されているとアナウンスされることなくひっそりと置かれていました。京都鉄道博物館の蒸気機関車が展示されているところの中にしれっと置かれていたというイメージです。実は、この写真の中に写っているんですが、ぱっと見つけられないですよね。

アップにして撮ってきました。それがこちらです。

いざ目の前にすると感動しましたね。歴史としてしか知らなかったマイテ49を目の前で見ることができるなんて思っていなかったので、本当にわざわざ京都鉄道博物館に行ってよかったと思いました。これだけ歴史のある車両なので、解説くらいされていてもいいんじゃないかと思ったんですが、全く解説もなくただ置かれているという状況でした。正直、前半で解説した新幹線・機関車・特急型車両のどれよりも古く、価値のある車両だと思っているんですが、近くを通っていた人は目もくれず通り過ぎていました。解説がついていないと、鉄道の知識がない方からすると素通りされてしまうんだと思い、少し悲しくなりました。


左に出しているのは、台車です。台車がどうしたって話なんですが、これは3軸ボギー台車といって1つの台車に3つ車輪がついています。この構造は、当時は3軸ボギー台車が乗り心地がいいとされていたので採用されているようです。現代の車両は、基本的に2軸ボギー台車で台車に2つ車輪がついている構造になっています。本線上を走れる客車で3軸ボギー台車になっているのは、マイテ49だけなんじゃないかと思います。右の写真が、マイテ49 2を示した車両番号です。この客車を作った方々も、80年も生き残っているなんて思っていなかったんじゃないかと思います。
最後に、銘板を紹介します。銘板というのは、その車両がいつどこで製造されて、改造等を受けたのかが書かれているものです。

すでに、鉄道省時代に製造されている時点でこの時代に残っている車両としてはレアです。鉄道省というのは、1920年に設置され1943年に改組されたので、無くなってからすでに80年近くたっています。鉄道省の後継機関として設置されたのが、日本国有鉄道(通称国鉄)です。国鉄も1987年に民営化されているわけですから、すでに35年経っています。この銘板を見るだけでも、戦前からの日本の鉄道の歴史を語っているようで非常に貴重な車両だと思います。と、かなりマニアックな話をしましたが、そんな貴重な車両が特に宣伝もなく置かれているのが不思議な感覚になりました。このあと何かあるんでしょうかね。とりあえず、実写を目の前で見ることができて私は大満足でした。
鉄道車両は走れる姿が一番美しい
マイテ49を見て、今回の京都鉄道博物館の訪問は終わりました。本当は、蒸気機関車について詳しかったらもっと楽しめると思うんですが、あまり蒸気機関車に詳しくないので、マニアックなところまで知らないんですよね。形式名くらいは知っていますが、細かいところについてよく知らないので蒸気機関車に関してはさらっと見た程度です。保存された展示車両を見て回って思ったこととしては、鉄道車両は本線上を走れる状態が一番美しいということです。走らなくなって展示されているのも、もちろんいいんですが、一番いいのはその車両が走っているときにちゃんと乗っておくことであることを再確認しました。マイテ49は、展示されているといっても本線上を一応走ることができるわけですし。これからも、乗りたい車両にはどんどん乗っていこうという気持ちを新たにできたのが今回の収穫です。
鉄道の知識が無くても楽しめます
ここまで、鉄道の知識がある前提で京都鉄道博物館の解説+マイテ49の解説をしていますが、京都鉄道博物館自体は、鉄道の知識が無くても楽しめるようになっています。もちろん、個別の車両の歴史や細かいところは知識がないとわかりませんが、鉄道の動く仕組みや鉄道に関連する資料の展示なども行われています。例えば、こんなものがありました。

1970年の大阪万博の入場券です。しかも、未使用なんですよね。。。これは、大阪万博開催時は特別の対応で万博の入場者の対応に当たった歴史についてのコーナーの一角にありました。本当に今となっては、貴重な資料ですよ。しかも、未使用ですからね。通常、入場券は万博会場に入るために買うわけで未使用で残っている例は貴重だと思います。


また、こんなものもありました。左側が、山口百恵さんのいい日旅立ちのレコードです。いい日旅立ちは当時相当ヒットしたようです。今から考えても、アイドルがピンでレコードのジャケットを飾っているってすごいことだと思います。(今じゃアイドルのピンはなかなかないですよね。)いい日旅立ち自体は、東海道山陽新幹線の車内アナウンスの前にかかる音楽として使われています。(厳密にいうとJR西日本が作った車両ではいい日旅立ちが流れて、JR東海が作った車両ではAMBITIOUS JAPAN!が流れます。)
右側は、あずさ2号という曲のジャケットです。あずさ2号という曲をご存じの方は、50代以上の方かもしれません。恋人に別れを告げずに、新宿駅を発ち松本へ向かう8時ちょうどのあずさ2号に乗り込み、新しい恋を探そうとする場面を歌った歌です。カラオケでも入れられますし、DAMの場合はあずさ2号の曲を入れると、昔のあずさの本物の車両が出てきます。興味があれば入れてみてください。
このように、京都鉄道博物館は鉄道の知識がある方はもちろんのこと、鉄道の知識がない方も楽しめるようになっている博物館です。京都駅から少し歩いたところにあるので、行ったことが無い方は一度行ってみてください。
まとめ
今回は、京都鉄道博物館に行ってきたので京都鉄道博物館についてと、お目当てだったマイテ49について書きました。鉄道に興味がない方でも楽しんでもらえるようになっていると思うので、行ったことが無い方はぜひ行ってみてください。記事の中でよくわからない点がありましたら、コメント欄かお問いあわせフォームからご連絡いただければお返事できるようにいたします。それでは、今回はここまでです。次回の記事でお会いしましょう。
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