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白糠線訪問記~上茶路駅跡を訪れ40年前にたしかに鉄道が存在していたことを確認~

みなさんこんにちは。このブログを書いている東急三崎口です。

今回は雑記です。前回の雑記ではすずめの戸締まりの小説を読んだうえでの考察記事を書きました。今回は、北海道旅行で立ち寄った白糠線(しらぬかせん)跡の訪問記を書いていきます。

北海道旅行記はこちらの記事をご覧ください。

白糠線を訪れたのは4日目で、釧路から夕張を目指す途中で寄ったものです。日程の関係で、数時間しか滞在できませんでしたが、それでもある程度白糠線跡を見ることができました。また、事前調査として「歩鉄の達人 白糠線」を利用させていただきました。

白糠線とは

そもそも、白糠線について少し紹介します。白糠線は、北海道にかつて存在した路線です。白糠駅を起点に1964年に沿線の森林資源と石炭輸送を目的に開業しましたが、沿線の炭鉱が閉山した影響で超赤字路線となり、1983年に国鉄の特定地方交通線の廃止路線第1号として廃止されました。20年程度しか営業していなかった路線なんですが、沿線の人口が極端に少ないことから、廃止から40年近く経った現在でも遺構がたくさん残っていることで知られています。今となっては、40年前に廃止された路線であり鉄道マニアでも廃線跡を巡る方々でなければ現地に訪れることは無いと思いますが、白糠線が現役であった当時の時刻表を持っているので、現役当時のダイヤを確認してみました。

これが、白糠線が現役の時代の時刻表です。1978年のものなので、45年くらい前のものになります。

この時代には、北海道の鉄道路線は今からは想像できないくらい充実していました。

路線図として見るとこれだけたくさん路線が伸びています。

白糠線の部分をアップにすると、こんな感じです。

白糠駅から、北進駅まで白糠線が伸びていることがわかります。この写真の中に見えている路線の中で今も残っているのは、根室本線と釧網本線だけなのでいかに当時の北海道の路線網が充実していたかがうかがえます。

そんな白糠線の当時のダイヤを見ると、驚愕の本数です。1日3往復しか列車が設定されていないんです。

このダイヤを見るに、私が抱いたのは「一体だれがこの路線を使っていたんだろう?」という感覚です。高校生が北進から白糠まで通学で使うにしても、ちょっと厳しいダイヤだと感じてしまいました。

私が白糠線を知ったきっかけ

ここまで、白糠線について紹介しましたが、私が白糠線を知ったきっかけについて少し書きます。1990年代生まれなので、生きている間に白糠線が営業しているわけもなく、廃線跡として知りました。鉄道ファンという雑誌の2001年9月号で、REPORTという記事の中で白糠線について紹介されていました。そこで、当時(2001年なので20年前の話です)の廃線跡の写真が並んでおり、1983年の廃止から20年近く経った時でも遺構が残っていることが紹介されていました。この記事を見て、廃止されてから20年経っても廃線跡が残っているのであれば、ぜひ訪れてみたいと思ったのが、白糠線を知ったきっかけです。

しかし、白糠線は北海道の東側にあり、沿線に公共交通機関があるわけでもなく、車で訪れるのが必須でした。そもそも、北海道に行く機会もほとんどなく、白糠線跡に行ってみたいと思って20年経っても訪れることができずじまいだったのです。

北海道旅行の行程に組み込み

白糠線跡を訪れてみたいという気持ちはありながら、20年近く経ってしまいましたが、2022年にちょっとしたきっかけで訪れるチャンスがきました。それが、今回の北海道旅行の計画です。友人と2人で北海道旅行をすることになって、友人の行きたい場所が札幌競馬場・帯広競馬場・夕張だったわけです。そうすると、位置関係的に帯広まで行くのであれば、白糠は少し足を伸ばせば訪れることができるのではないだろうか?と思うわけです。地図で表すと、こんな感じになります。

帯広まで行くのなら、白糠線跡にも行けそうな気がしませんか。というわけで、半ば無理矢理白糠線跡を行程に組み込みました。少し私がわがままを言って、日本最東端の駅である東根室駅や、一般人が到達できる日本最東端の場所である納沙布岬まで回る計画にしたので、白糠線跡に寄ることは大したことない寄り道になりました。

白糠線跡の話からはすこしずれますが、一般人が到達できる日本最東端の岬「納沙布岬」は、現地に行かねばわからない感覚があって、訪れてとてもよかったと思っているので、もし興味があれば北海道旅行記3日目の記事をご覧ください。

第9茶路川橋梁

白糠線跡の話に戻ります。旅行の行程で寄る以上、一日白糠線跡に滞在することはできないので、絶対に訪れる場所を2か所に絞りました。それが、上茶路駅跡と北進駅跡です。上茶路駅跡は、白糠線の中で唯一列車の交換設備があった駅で、今でも駅跡が残っているようです。北進駅跡は、白糠線の終着駅で現在遺構は残っていないとのことでしたが、次の行程の途中にあったので寄ることにしました。

道東道の白糠ICを降りて、上茶路駅跡の方面を向かおうとすると、左手にいきなり廃線跡の橋梁が見えました。本当に廃線跡が今でも残っているんだと思い、少し立ち寄りました。国道からちょっと入る小道があって、その先を進んでいくと、橋梁に近づけるようになっていました。

たしかに、国道から見えた廃線跡の橋梁がこの先に見えます。訪問した時は、あまりにも軽装備だったので先には入れなかったんですが、たしかに今でも廃線跡が残っていることを早速確認できました。

写真を撮影した場所から逆を向いて撮った写真です。両側に木々が生い茂っていますが、その間には線路があったと思われる「空間」があります。これを見ると、廃線から40年経った今でも人間が作った鉄路の痕跡をうかがい知ることができます。

スマホのGPSを確認すると、場所的に第9茶路川橋梁の近くであることがわかりました。

道東道のICから降りて上茶路駅方面に向かうとすぐ左側に見えて、国道から簡単にアクセスすることができたので、もし訪れる方がいらしたら見てみてください。このあと、第一の目的であった上茶路駅跡へ向かいます。

上茶路駅跡

上茶路駅跡は、Google Mapでも出てくるので場所のあたりをつけるのは簡単でした。国道の左手側に、上茶路集会所の建物が建っていて、その先に上茶路駅跡はあります。といっても、国道から直接その姿を見ることはできません。車を止めて、上茶路駅跡の方向へ向かっていきます。

上茶路駅跡の方向へ向かう道にはわだちがついているので、ある程度メンテナンスされている道のようです。その道には、道道665号の看板が立っていました。上茶路上茶路(停)線と書いてあるので、上茶路駅が廃止されたあとも道道として上茶路(停)の名前が残っているようです。

拡大すると、たしかに道道上茶路上茶路(停)線と書いてあります。

車のサブスク【SOMPOで乗ーる(そんぽでのーる)】

この道をしばらく歩いていると、開けた場所が出てきました。この写真は、上茶路駅跡側から撮っていますが、国道側から歩いてくると、狭かった道の先が急に開けて人為的に開拓した感覚を感じることができます。

国道から歩いてくるときは、写真の右上の方からここに出てくるので、何も知らない人からすると、いきなり開けた場所に出てくるような感覚になります。この開けた場所が見えた段階で、この先に駅跡があることを確信しました。人工的に作った場所であることがはっきりわかったからです。

この開けた場所から森の中を見ると、人工物が見えました。

森の中に何かしら地面とは違った構造物が見えます。これが、上茶路駅のホーム跡です。これを見て、20年間行きたいと思っていた上茶路駅跡にたどり着くことができたんだと思い、感動しました。そして、20年前の雑誌の記事で取り上げられていた廃線跡が、そこから20年経ってもまだ残っていてよかったとも思いました。

上茶路駅跡に近づくと、まだ線路が残っていて、線路の間には木が生えていました。

40年も経つと、木が成長してしまうんですね。鉄路が廃止されてからの時間の経過を感じます。

上茶路駅のホーム跡には、駅名板を吊り下げる枠が残っていました。2001年の記事では、駅名板がつくってあると書いてありましたが、20年経って崩れてしまったのか、誰かが取ってしまったのかはわかりませんが、無くなっていました。そのかわり、枠が真新しく白色に塗り直されていました。塗装を見る限り、あとから塗り直されたんでしょう。

ホーム上の上屋も残っていました。金属製なので、40年経っても形をとどめているようです。ここにかつて鉄道があったこと、そしてその鉄道を使う人々がいたことを黙って示しているように思いました。

手前側にあるホームでは、ホーム上から木が生えています。

廃止されてから40年経ってこれだけ痕跡が残っていることは驚きでしたが、あと40年もすれば自然に還っていくのでしょう。

もともとあった人工物の中には、元の形をとどめていないものもありました。

電柱は、倒れて土に還ろうとしているところでしょう。

国道から道を歩いてきて、突然開けた場所が出てきて、その先に廃線の遺構があるのは、現実世界だとわかりつつも、異世界に入ってしまったような感覚を抱きました。すずめの戸締まり(新海誠さんの2022年公開の映画です。主人公が廃墟の中にある扉を開けると、その中には異世界が見えるという設定があります。)で、主人公が扉を開けた先に異世界が見えた設定がありますが、上茶路駅跡に扉が立っていたら、その先は異世界につながっているような気分になります。とても不思議な感覚でした。

上茶路駅を後にしようとしたところ、捨てられた空き缶を発見しました。

これも、一種の人工物でしょうか。かなり錆びていましたが、かろうじて賞味期限を読むことができました。

期限が2004年04月16日と書かれているのを見ると、2000年代前半にここを訪れた人が落としていったものなのでしょう。20年近く経ってもこうやって残っているものなんですね。

ある程度見ることができたので、上茶路駅跡をあとにします。次に向かったのが、上茶路跨線橋です。

上茶路跨線橋

上茶路跨線橋という名前で、当時に作られた跨線橋が残っていました。当初寄る予定は無かったんですが、たまたまみつけられました。夏に訪れたので、跨線橋の先には草が生い茂っています。普段使われない道なんでしょうね。

この跨線橋の上から写真の左側を見るとこんな感じになっていました。

写真では見にくいですが、真ん中あたりの暗くなっている場所に線路跡があり、この先の橋梁につながっています。

跨線橋の上からみた廃線跡の先がつながっているのが、この橋梁です。

国道から撮りましたが、本当にこのサイズで廃線跡の橋梁が残っているのには驚きです。しかも、白糠線は並行して走っている茶路川(この写真に写っている川が茶路川です)を渡るので、何本も廃線跡の橋梁が出てきます。この橋梁は、第19茶路川橋梁のようです。

この写真を見て感じるのが、廃線跡を訪れようとした場合、肉眼で見えているのに、どこからその場所に行けばいいのかわからないもどかしさがありました。夏場に訪問したので、草が生い茂っていて行く手を阻みますし、何より草のせいで視界が遮られるので、その先に廃線跡があるのかわからないのが難しかったです。

この橋梁をあとにして、最後の目的地北進駅跡に向かいます。

北進駅跡

白糠線の終着駅だった北進駅は、集落から少し離れたところにあります。集落といっても、数軒民家がある程度ですが。そこから、あぜ道を下って5分くらいすると、突然開けた場所がでてきます。そこが、北進駅跡です。

道にわだちがあるので、道自体は日常的に使われているんだと思います。しかし、駅跡と思しきものは何も残っていませんでした。20分くらい、何かしらの遺構が無いか探したんですが、何も見つけることはできませんでした。2001年の記事では、北進駅跡に国有鉄道と書かれた石柱があると書かれていたんですが、草に覆われていて見つけることはできませんでした。本当にただの開けた土地に見えます。しかし、白糠線の線路があったであろう方向には、道が伸びておりかつて鉄路があったことを示しています。

廃線跡を訪れる難しさ

北進駅跡を訪れ、今回の白糠線跡訪問は終わりとなります。今回、廃線跡を訪問したのは初めてだったので、いくつか反省点がありました。1つ目は、廃線跡の線路に近づくことは想定しているより困難だということです。地図上で行けるはずだと思っていても、そこには草が生い茂っていたり、足元がいつ崩れるかわからない地面だったりします。その辺を考えたうえで、ちゃんとした装備で訪れる必要があると感じました。2つ目は、事前調査を綿密にやっておかないと、目的の場所にはたどり着けないということです。ある程度、白糠線の訪問している方のサイトを見てめどはつけておいたつもりだったんですが、その場所にたどり着く方法まで考えていませんでした。上茶路駅跡は、比較的簡単にたどり着くことができましたが、北進駅跡は本当に何も残っていないので、どこが駅跡なのかわからずしばらく迷っていたくらいです。この2点を踏まえたうえで、次回廃線跡を訪れることがあれば、準備していきたいと思っています。最後になりますが、廃線跡を訪れる際全て自己責任になりますので、くれぐれも危険な場所には立ち入らないようにお願いいたします。

まとめ

今回の白糠線の記事では、

  • 白糠線が現役時代の時刻表
  • 上茶路駅跡
  • 上茶路跨線橋
  • 北進駅跡

について紹介しました。もし興味があれば、現地を訪れてみてください。本当に、廃線跡がたくさん残っていて驚きます。

おわりに

今回は、北海道旅行で寄った白糠線跡について書きました。長くなりましたが、今回の記事はここまでです。記事の中でわからないことがあったり、明らかに違うだろうと思われることがありましたら、コメント等をいただけると嬉しいです。それでは、次回の記事でお会いしましょう。

雑記

Posted by tokyu351