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夜と霧を10年ぶりに読んで名作である理由がわかった

みなさんこんにちは。このブログを書いている東急三崎口です。

この記事では、雑記として夜と霧という本を10年ぶりに読んで名作だと言われる理由がわかった話について書きます。夜と霧を読んだことがある方も、無い方もどうぞ。

夜と霧とは

今回読んだ「夜と霧」は有名すぎるので紹介するまでもないかもしれませんが、ご存じない方もいらっしゃると思うので簡単に紹介していきます。

著者はヴィクトール・E・フランクルさんで、もともと心理学者だった方です。その方が、ユダヤ人であることを理由に第二次世界大戦のドイツで強制収容所に連行され、心理学者の視点から当時の強制収容所での人間のありようを描いた本です。下のリンク先から購入することができます。


読んだことのない方は、リンク先からでなくて構いませんので読んでみて頂きたい1冊です。150ページくらいの短い本ですが、本当に人間の極限を描いた本です。

私が夜と霧と出会ったきっかけ

私が夜と霧と出会ったのは高校生の頃です。同じクラスの方に、おすすめの本を聞いたところ「夜と霧」がおすすめだと教えてくださったので図書館で借りて読みました。当時は、授業をそっちのけで本を読んでいたのでかなりの冊数を読んでいました。そんなときに読んだんですが、高校生の頃は何が名作なのか理解できていませんでした。そんな印象を持ったまま、特に読み直すこともせずに10年近く経っていました。

最近になって、本を読むようになったので、ふとしたきっかけで夜と霧を読み直してみようと思って、新品の本を買い改めて読み直したわけです。10年経って読み直してみると、この作品が名作だといわれるゆえんがなんとなくわかるようになりました。10年前に読んだときに覚えていたのは、「1944年のクリスマスと1945年の新年を迎える間に強制収容所で亡くなる方の数がかつてないほど増えた。」というエピソードです。(このことは、一番印象に残ったエピソードのところで詳しく書きます。)

お名前.com

極限状態における人間の存在意義

強制収容所に収容された方の置かれた状況というのは、筆舌に尽くし難いことだったと書いてあります。着るものも粗末な布一枚で極寒の屋外での作業に駆り出され、監督者から理不尽な扱いを受けることを毎日続けていくという恐ろしい世界です。

そんな状況がずっと続くと思ったときに、自分が生きることに価値があるのか?と思うことは一般的なことのようで、生きる希望を失ってしまい実際に亡くなった方も少なくないようです。そんな極限状態の中でも、人間が生きていくことができるとこの本では述べられています。

一番印象に残ったエピソード

この本の中で一番印象に残ったエピソードは、「1944年のクリスマスと1945年の新年を迎える間に強制収容所で亡くなる方の数がかつてないほど増えた。」ということです。10年前に読んだ時も、今回読んだときもこのポイントは一緒でした。本文中から引用するとこんな風に書かれています。

「(前略)この収容所は1944年のクリスマスと1945年の新年のあいだの週に、かつてないほど大量の死者を出したのだ。これは、医長の見解によると、過酷さを増した労働条件からも、悪化した食糧事情からも、季候の変化からも、あるいは新たにひろまった伝染性の疾患からも説明がつかない。むしろこの大量死の原因は、多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがってことに求められる、というのだ。」

夜と霧 新版 p128

もともと、過酷な環境下であったにもかかわらず、物理的な環境の変化ではなく、すがっていた希望がかなわなかったという人間の内的な希望が崩れたことに起因して人間が亡くなることをはっきりと示しています。

病は気からという言葉がありますが、古来から伝えられているものの統計的なデータがあるわけではありません。しかし、こんなエピソードが実在していることを見ると精神と肉体は、別個のもののように見えて密接につながっていることを示しているんでしょう。

未来への希望を持ち続けることの重要さ

強制収容所内で自殺願望を言うようになった2人に対して、生きていれば未来に待っている何かがあることを伝えることで自殺を回避することに成功したと著者は述べています。著者はこのように記しています。

事実ひとりには、外国で父親の帰りを待つ、目に入れても痛くないほど愛している子供がいた。もうひとりを待っていたのは、人ではなく仕事だった。彼は研究者で、あるテーマの本を数冊上梓していたが、まだ完結していなかった。この仕事が彼を待ちわびていたのだ。彼はこの仕事にとって余人に代えがたい存在だった。(中略)ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にも言えるのだ。

夜と霧 新版 p134

人であれ、仕事であれ、自身の外側のものが自信を待っていると考えることで、人間は極限状態にいたとしても自身が生きている意味を作りだすことができるというのです。続いて、著者はこう述べています。

このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

夜と霧 新版 p134

「人間ひとりひとりにそなわっているかけがえのなさ」ということで表されている、「生きることに対して担っている責任の重さ」という一節が非常に印象的です。

というのは、人間が生きる意味を模索しようとすると、自分自身の内側に意味を求めがちです。自分のルーツだとか、今までどうやって生きてきたかなど、今までに起こって確定している「過去」のことに対して探求しようとするということです。しかし、極限状態を生き抜いた著者が見つけ出した解は、人間が生きる意味を問うときに、自身の内面ではなく自身の外側にあるものが生きる意味を作っているということでした。そして、自身の外側にあるものが、自身の未来へ期待していると考えることで、どれだけ「今」が過酷な環境であったとしても、生き続けることができるんだと述べています。

これを読んで、自分の生きる意味を探して色々なことをやってみることは一つの方法だと思っていましたが、実はそれは真実ではなく、自身の未来に対して期待する外的存在(人間に関わらず仕事でも構わない)があるかないかが自身の生きる意味を規定していくというのが正しい捉え方なんだと理解しました。

50年前の本でも不朽の名作であるゆえん

夜と霧は原作で初版が出されてから50年以上が経過していますが、名作だと言われるゆえんが10年経って読み返してやっとわかりました。おそらく、その理由は2つあります。

1つ目は、強制収容所という極限環境において心理学者が自らも被収容者という立場で人間の心理的変化をモニターしているということです。これは、戦時中の特殊な環境でしかありえないことですし、戦時中であったとしても許されることではありません。しかし、史実として強制収容所が存在したことは事実です。極限環境下で、人間がどのように生きていくことができるのかについて記されることは、もう二度と起こりえないわけですから、唯一無二の価値があるといえます。

2つ目は、極限環境下においても人間が生きていくためには、自身の内部ではなく、外的環境が規定する自身の未来に希望を持つことが人間が生きていくための光となることを明らかにしていることです。人間が生きている意味を問う場合に、自身の内面に目線を向けがちですが、そうではなく外的環境が規定する未来が人間に希望を与えるということを示しているのが非常に大きな価値です。

夜と霧は、ページ数としては150ページ程度なので短めの本ですが、読まれたことが無い方はぜひ読んでいただきたい1冊です。

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まとめ

この記事では、夜と霧を10年ぶりに読んで名作だといわれるゆえんがわかったことについて書きました。強制収容所という極限状態において、人間が未来に希望をもって生きることができることを示している人類史の中で貴重な本です。

おわりに

長くなりましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。記事の中でよくわからない点がありましたら、コメント欄かお問いあわせフォームからご連絡いただければお返事できるようにいたします。それでは、今回はここまでです。次回の記事でお会いしましょう。

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Posted by tokyu351