みなさんこんにちは。このブログを書いている東急三崎口です。
この記事では、45年前の時刻表を使って、日本最北端の駅から最南端の駅まで、鉄道で何時間かかるのかを検証していきます。
普段は、半導体とカラオケの記事をメインで書いているんですが、今回は毛色が違う鉄道の話です。
45年前の時刻表をなぜ持っているのか
そもそも、普段時刻表を使う方は現在少ないのではないでしょうか。
時刻表は、全国の鉄道のダイヤが紙に書かれているもので、購入すると1000円ちょっとします。
私が持っているのは、1978年9月発行の交通公社の時刻表です。(交通公社は今でいうJTBです。)

表紙の感じが年季を感じさせます。正確に言うと44年ちょっと前のものです。
表紙を良く見ると、「この時刻表は10月1日までお使いください」と書いてあります。
実は、1978年10月には白紙ダイヤ改正と呼ばれる、大規模なダイヤ改正が行われています。(通称、ゴーサントオと呼ばれています。)
その直前のダイヤなので、ベースになっているのが1968年10月の白紙ダイヤ改正(通称ヨンサントオ)です。
そのくらい古いダイヤです。定価も450円になっていますし、歴史を感じさせます。
もちろん、45年前なんて私は生まれていませんし、実家にあったわけでもありません。
なぜそんなものを持っているのかというと、3年ほど前に鉄道模型の専門店である、ポポンテッタという店で見つけたんです。
ポポンテッタは鉄道模型専門店ですが、中古の鉄道雑誌を置いてあります。中古の鉄道雑誌を読むのが好きだったので、定期的に訪れていました。
そこで、1978年10月の時刻表を見つけて、これはいくら値段がついていても買わなければいけないと感じたわけです。
結果的に、1000円で買えたのでお財布にも優しかったですが、3万円くらいまでなら出していたと思います。
本当に偶然出会った45年前の時刻表で、昔の鉄道のダイヤを楽しんでいたのが、この記事を書くきっかけでした。
2023年現在の最速タイム
最近は、鉄道系Youtuberが鉄道に関するいろいろな動画を上げています。
個人的には、結構飽和しているんじゃないか?と思っているくらいです。
昔よく見ていたのが、Youtuberの西園寺さんの動画です。
「最北端から学校に登校してみた」のような、動画がよく上がっています。
これを見たときに、45年前のダイヤだと、最北端から最南端までどのくらい時間がかかるんだろう?と思ったわけです。
ちなみに、日本最北端の駅はJR北海道の稚内駅です。
日本最南端の駅は、沖縄モノレールの赤嶺駅です。ただ、沖縄は鉄道だけでは到達できないので、鉄道だけで到達できる最南端の駅である、西大山駅を今回の最南端と設定しています。
ここで、みなさんに想像していただきたいです。最北端の駅から、最南端の駅まで鉄道だけで移動したら、どのくらい時間がかかると思いますか?
2023/5/30(執筆日)現在のダイヤを調べると、稚内駅を6:36に出発し、西大山駅には翌日の11:52に着きます。(新幹線はもちろん使っています。)
時間で言うと、27時間16分です。新幹線を使ったとしても、稚内から1日では新大阪までしかたどりつけないです。
新幹線をできる限り使って、27時間超えの長旅です。2023年でも27時間かかる長旅が、45年前には一体どのくらい時間がかかるのか気にならないでしょうか。
1978年9月のダイヤ
1978年9月のダイヤは、2023年現在とは大きく異なる点がいくつかあります。まとめると、この4つです。
・新幹線は東海道山陽新幹線しか開業していない
・本州と北海道は青函連絡船で行き来している
・夜行列車が非常に多い
・特急列車が少ない
新幹線は東海道山陽新幹線しか開業していない
一番大きいのは、新幹線が東海道山陽新幹線しか開業していないことです。
最北端から最南端を目指すと、現在では北海道新幹線・東北新幹線・東海道新幹線・山陽新幹線・九州新幹線と5つの新幹線を使えます。
しかし、1978年には東海道山陽新幹線しか開業していません。(時刻表にも「新幹線」と書いてあります。)
東海道山陽新幹線も、現在よりかなり時間がかかっていて、東京~博多間で約7時間かかっています。(現在は5時間弱です。)
やはり、1978年だと新幹線を使えない分、時間はかなりロスすることになるのではないかと思われます。
本州と北海道は青函連絡船で行き来している
2つ目は、本州と北海道の間は、青函連絡船という連絡船で往来していることです。
現在では、本州と北海道の間は青函トンネルができていて、北海道新幹線が走っています。
青函連絡船は、青森と函館の間の連絡船で、今より時間がかかっていたようです。
船で往来しているので事故も発生していて、一番有名なのが洞爺丸事故です。死者・行方不明者計で1155人にのぼった、大事故です。(詳しい内容はwikipediaをご覧ください。)
夜行列車が非常に多い
3つ目は、夜行列車が非常に多いことです。
2023年現在、定期列車では夜行列車はサンライズ出雲・瀬戸くらいしか走っていません。
1978年は夜行の寝台列車が、非常にたくさん走っています。本当に驚くほどです。
東京駅発の寝台特急だけでもこれだけありました。
・さくら
・はやぶさ
・みずほ
・富士
・出雲
・あさかぜ1号、2号
・瀬戸
・いなば
・紀伊
・銀河
毎日のようにこれだけ、寝台列車が走っていた時代なんだと思うと、少しうらやましくなります。
特急列車が少ない
4つ目は、特急列車が少ないことです。
特急は、特別急行の略ですが、今では特急が走っていることはそれほど特別には感じません。
しかし、1978年だと急行列車はたくさんあるんですが、特急は数が少ないんです。
急行列車の中に、数少ない特急が走っているような感じです。このころの特急は、文字通り「特別」なものだったようです。
最北端の駅発の列車の候補
さて、45年前の時刻表を見てみましょう。
最北端の稚内駅は、宗谷本線の終着駅です。
当時の時刻表で稚内発のページを見るとこのようになっていました。

興浜北線・興浜南線・天北線・宗谷本線のページですが、現在では宗谷本線しか残っていません。
優等列車は全て急行で、宗谷本線に特急は無いようです。
この中で、最北端から最南端への最速列車になる可能性があるのは、急行宗谷・急行天北・急行利尻の3つです。
急行列車は、3つの他に急行礼文がありますが、旭川到着が23:02でそのあと札幌方面に向かうには、あとから発車する急行利尻に乗るしかないので、今回の調査からは除外しています。
というわけで、今回は45年前の最北端から最南端への最速列車を3つのケースで調べてみます。
①稚内7:25発 急行宗谷
②稚内11:55発 急行天北
③稚内21:00発 急行利尻
①のケース
早速、①のケースについてみていきます。
この急行宗谷だけ、異常に走る距離が長いです。1本の列車で函館まで到達できます。
途中駅で優等列車に抜かれるかどうかを確認しましたが、急行宗谷に乗り続けているのが一番所要時間としては短かったです。
函館着後、青函連絡船に乗り換えます。連絡船と名前がついているくらいなので、ちゃんと本州側で連絡できる列車が設定されています。
青函連絡船で青森着が、23:15となっています。
20分の乗り換え時間で青森から連絡しているのが、ゆうづる7号です。
ゆうづるは、青森から上野まで走っていた寝台特急で、途中常磐線経由になります。ゆうづるで上野着が、8:48です。
東北新幹線が無いので、稚内から東京までたどりつくだけで24時間以上掛かっています。
ここからは、新幹線を使います。上野と東京駅を移動するのは、30分は必要だと見積もっています。
(当時は、東北新幹線は開業していませんし、東海道新幹線は東京始発なので上野と東京は乗り換えて移動する必要があります。)
今と違って、東海道新幹線に「のぞみ」は無く、「ひかり」が一番速いです。おまけに、博多行きは30-60分に1本しか出ていません。ここでは、東京10:00発博多16:56着のひかり5号を利用します。
博多で、新幹線に別れを告げ、在来線で鹿児島方面を目指します。
博多から西鹿児島(現在の鹿児島中央駅です)まで、有明9号を利用します。
最南端の駅は、西鹿児島から出ている指宿枕崎線の西大山駅です。
西鹿児島から、西大山行きの終電は既に終わっているので、翌日の始発で西大山駅を目指します。
翌日の始発を見ると、西鹿児島5:15発の列車があります。
これで、晴れて最北端から最南端までたどりつくことができました。
出発したのが、1日目の朝7:55で到着が3日目の朝6:51なので、合計47時間30分程度かかっています。
①のケースのタイムは、47時間30分前後としましょう。
②のケース
②のケースは、稚内発11:55の急行天北を使います。
急行天北は、札幌行きで途中追い抜かれることもありません。
札幌には、19:00に着きます。
札幌で、函館行きの特急北海に乗り継ぎます。
札幌から函館が、思いのほか長くて23:55函館着です。
ここで、驚いたのが青函連絡船は深夜でも運行されていることです。
函館0:15発、青森4:05着の便があるんです。
正直、0時過ぎに乗り込んで、4時過ぎに降りるのは、寝るのにも中途半端ですし、なんとも言えない時間設定な気がします。それでも、深夜時間帯に運行されていたということは、それだけ需要が多かったということなんでしょう。
青森からは、特急はつかり1号が連絡しています。早朝なのに、ばっちり連絡が取られています。
今回の場合でも、稚内から東京まで出てくるのに丸1日かかっています。
当時は、東京まで出てくるだけでも大変だったんでしょうね。
ここから新幹線の出番です。
東京発のひかり27号を使って博多まで移動します。
博多21:01着なので、西鹿児島行きの列車は翌日の始発を待たないと無いかと思いきや、当時の夜行列車の多さに救われました。
博多発0時台で西鹿児島行きの夜行列車「かいもん」が存在していました。
かいもん4号を利用して、夜行列車で西鹿児島を目指します。
ここから、西大山駅を目指します。
しかし、西鹿児島から西大山に到達できる列車は、始発が5:15でしたが、次の列車が11:00でした。
すさまじい列車の感覚です。というわけで、西大山到着はこのようになります。
②のケースで、最北端から最南端まで到達するのにかかった時間は、48時間40分程度です。
①のケースが47時間30分程度だったので、わずかに①のケースの方が早いです。
西鹿児島到着後に、指宿枕崎線の列車の間隔がもう少し狭ければ、②の方が早く到着する結果になっていたかもしれません。
③のケース
最後に③のケースを考えます。
この場合は、夜行の急行利尻を使います。
夜行列車で札幌まで一気に到着します。
札幌から特急北斗1号に乗り換えます。
やはり、札幌から函館は距離があって、時間がかかります。
函館に到着後は、おなじみになってきた青函連絡船で青森まで渡ります。
ここから、上野方面を目指すわけですが、連絡が非常に悪く、2時間半後に出る列車まで待っても上野への到着時間が変わらないくらいの連絡でした。
不思議だなと思いつつも、このまま上野方面を目指します。(不思議さの理由は、あとからわかりました。)
夜行列車のゆうづる1号に乗り継ぎます。
上野に到着後、新幹線で博多を目指します。
朝一番の新幹線であるひかり21号を利用します。
博多からは、西鹿児島行きの有明5号に乗り継ぎます。
残念ながら、西鹿児島から西大山行きの終電は既に終わっていました。
翌日の西大山行きの始発を待つことになります。
なんとか最南端までたどりつけましたが、①・②のケースと比べると、時間がかかっているように思えます。
時間をざっくり計算すると57時間です。丸2日半くらいかかっていますね。
この場合も、指宿枕崎線の終電がもう少し遅ければ違う結果になっていたかもしれません。
結局最速列車はどの組み合わせなのか
①・②・③のケースで、最北端から最南端まで鉄道だけで移動するケースを考えてみました。
時間を計算すると、①のケースが結果的に一番早く47時間30分程度となりました。
③のケースは、10時間近く余計にかかってしまうので、列車とルートの選び方が非常に重要であることがわかります。
寄り道した考察
さて、ここで少し寄り道した考察をしてみます。
①・②のケースで、青函連絡船を使う前後を考えると、北海道側から、本州側の列車に綺麗に接続が取られていました。
しかし、③のケースの場合だけ、異様に連絡が悪くなっていました。(2時間半待ちです。)
③が一番所要時間が長かったのもあって、この理由はなぜだろうか?と思ったわけです。
青函連絡船をわざわざ運航するわけで、連絡を取らない理由が無いではないか。
と、10秒くらい考えたら気づきました。多分③のケースの青函連絡船は日本海縦貫線の列車と接続していたのではないかということです。(日本海縦貫線は、青森から新潟経由で大阪に至る日本海側の路線をずっと走っていく経路のことです。)
どういうことかというと、私は東京経由で新幹線を利用するルートが最速だと思い込んでいたので、日本海縦貫線経由の接続を全て見落としていたんです。
案の定、日本海縦貫線に連絡列車がありました。当時の日本海1号です。(寝台特急の日本海は10年くらい前まで走っていました。)
というわけで、③のケースは、青森で青函連絡船を降りたあと、日本海縦貫線を経由する別解があったわけです。
結論から言うと、日本海縦貫線経由でも、東京経由でも所要時間は変わりませんでした。どっちを経由しても、指宿枕崎線の終電には間に合わなっかったからです。
とはいえ、別解としてのルートの示しておきます。
まず、青函連絡船の青森着の時間は16:05です。
ここから、青森から日本海縦貫線を経由する、日本海1号に乗り継ぎます。
日本海1号の終着駅は大阪駅ですが、新幹線に乗り継ぐために新大阪でおります。
ここから、山陽新幹線に乗り継ぎます。
実は、この時点では東京経由のルートより、リードしています。
新大阪から博多まで、ひかり41号に乗り継ぎます。
日本海縦貫線を経由する別解を使った方が、博多到着は1時間近く早くなります。
一方、博多発西鹿児島行きの特急有明は、博多に1時間早く着いたとしても、1つ前の列車に乗ることができないので、結果的に最初に示した③のケースと同じ列車になってしまいます。
結局、博多での接続の関係で西大山着の時間は、東京経由でも日本海縦貫線経由でも同じ時間となってしまいました。
結論
①・②・③のケースで、1978年9月時点での最北端から最南端までの所要時間を比較しました。
結果としては、①の急行宗谷を使うパターンが一番早く、47時間台が当時の最速タイムに近いのではないかと思います。
今回の計算では、定期列車だけを対象にしているので、臨時列車等を使うともう少し早く到着できるダイヤがあるかもしれません。
47時間台が45年前当時の所要時間だと考えると、2023年では29時間台となっており、18時間も短縮されていることは日本の鉄道網の発達のすごさを感じさせられます。
昔の時刻表を手元に欲しい方向け
私の場合は、1978年9月の時刻表を手に入れたのは、偶然見かけたことが理由でした。
古い時刻表は、当時走っていた路線の時刻や路線図の記憶を残しているものなので、手に入れたいと思われる方がいらっしゃるかもしれません。
当時の原本を直接購入するのは難しいことが多いですが、JTBが過去の交通公社の時刻表を復刻版として売ってくれています。
いくつか紹介するので、興味があるものがあれば購入してみてください。
特に、国鉄民営化前の時刻表は、赤字路線として廃止されてしまった路線が、北海道を中心にたくさん載っていますし、当時の世の中を反映している内容となっています。
1964年9月(東海道新幹線開業直前)
1968年10月(ヨンサントオ)
1978年10月(ゴーサントオ)
1988年3月(一本列島)
感想
45年前の時刻表を手に取りながら、1つ1つダイヤを調べていて感じたことが2つあります。
・紙の時刻表を使うとYahoo路線とは違った醍醐味がある
・夜行列車が多いと寝る時間と移動時間を両立できるので効率が良い
私自身普段紙の時刻表を使うことはほとんどありませんが、時刻表を使って旅程を組み立てるのは面白味がありました。
他の路線との接続などを考えて、次にどの路線を使って、どんな列車に乗るかを考えながら組み立てるので、自由度が広いと感じます。
紙の時刻表だと、乗ろうとしている列車の1本後の列車や、1本前の列車の時刻も調べているうちに見えます。
1本前に間に合わせようとすると、どのくらい出発時刻をずらさないといけないのか?とか、1本後の列車に遅らせると到着時刻はどのくらいずれるのか?などを、簡単に考えることができます。
時刻表を使い人は、限りなく少なくなっていると思いますが、紙で見えるからこその面白さを久しぶりに感じることができて私自身楽しかったです。
2つ目は、夜行列車が多いと移動時間をうまくずらすことができて、移動の自由度が広がる点です。
①~③のケースを見直してみると、どのケースでもどこかしらで夜行列車を使う機会があります。
青函連絡船の移動の場合もあれば、稚内から札幌の場合もあり、博多から西鹿児島の場合もあります。
ただ、長距離移動をしようとしたときに、夜行列車であれば寝ながら移動できるので、起きたらかなりの距離を移動できていることは、メリットに感じました。
2023年の時代を考えると、新幹線や飛行機+ビジネスホテルの方が一般的になっているとは思いますが、夜行列車があればもっと自由度を持った旅行ができるのになぁと感じるところではあります。
今回のケース①~③では使いませんでしたが、東京や関西発で九州行きのブルートレインは本当にたくさんあるので、2023年も続いていれば、私は進んで使っていただろうと思うので、少し残念ではあります。
まとめ
この記事では、45年前の時刻表を使って、日本最北端の駅から最南端の駅まで、鉄道で何時間かかるのかを検証しました。
1978年9月のダイヤでは、稚内発の急行宗谷を使って、東京経由の新幹線利用のルートが最速で47時間台であることがわかりました。
あまり、普段時刻表に触れる機会はないかもしれませんが、もし機会があれば使ってみてください。
この記事は、ここまでです。普段は、半導体やカラオケの記事が多いですが、時々こんな記事も書いていこうと思っています。ここまで、読んでくださってありがとうございました。
コメント