箱根駅伝の過去15年を振り返って選ぶ名場面~独断と偏見で選んだ名場面Top5~

本ページは広告・プロモーションを含みます

みなさんこんにちは。このブログを書いている東急三崎口です。

2023年初めての記事になります。お正月といえば、箱根駅伝のイメージがある方も多いのではないでしょうか。私自身、かれこれ15年ほど箱根駅伝を見ています。小学生の頃は、正月にはテレビで箱根駅伝が映っていて、なんで大人は箱根駅伝を観るんだろうと思っていました。小学生だと、大学名を見てもよくわからないですし、走っているのを見て何が面白いんだろうと思っていました。しかし、今となっては、立派に箱根駅伝を見る大人になってしまいました。15年くらい箱根駅伝を見ているので、過去15年間(2008年から2023年)の中から私の独断と偏見で選んだ名場面Top5を紹介していきます。

目次

5.日体大が30年ぶりの総合優勝(2013年)

5番目として挙げたのは、日本体育大学が30年ぶりに総合優勝を飾った2013年の大会です。第89回大会なので、ちょうど10年前の大会でした。日本体育大学は、前年にシード落ちして予選会からの参加でした。箱根駅伝は、前年の順位が10位以内だと翌年の出場が自動的に確定します。シード権を獲得していない大学は、10月に行われる予選会に出場する必要があり、その中で上位になる必要があります。

そうすると、一度ピークを10月に持ってくる必要があるので、一般的にはシード権を取っている大学の方が有利です。箱根駅伝ではシード権を取っている大学が優勝することが、多いですが第89回大会では予選会から出場した日本体育大学が優勝しました。しかも、30年ぶりの優勝ということで、当時日体大の監督をされていた方が現役時代に優勝して以来の総合優勝とのことで、非常に期間が空いている珍しい例です。

この大会では、箱根駅伝で山登りの区間である5区で現在も実業団で活躍されている服部翔大さんが2位で受け取った順位を1位に押し上げて往路優勝を飾りました。日体大はそのまま、トップを譲らず復路も1位のままフィニッシュして総合優勝を飾りました。

2013年大会は、のちほど紹介しますが2009年大会から5区で圧倒的な強さを見せていた東洋大学の柏原さんが卒業されて、5区を誰が取るのかということに注目が集まっていました。そこで、強さを見せつけたのが日体大の服部さんでした。

日体大は30年ぶりの総合優勝でしたが、その後10年間総合優勝を果たしていないので、いかに珍しい大会だったのかが今振り返るとよくわかります。

4.青山学院大学初優勝(2015年)

4番目として挙げたのは、青山学院大学が初優勝した2015年の第91回大会です。

青山学院大学は、最近では箱根駅伝の優勝常連校として知られていますが、私が箱根駅伝を見始めた時代(2000年代後半)は、本戦に出場すらしていませんでした。2009年の第85回記念大会で33年ぶりの出場を果たし、その大会では出場校の中で最下位(22位。第85回大会は記念大会で出場校が例年より多い大会だったので22校が出場しています。)でした。

そこからシード権の常連校になり、2015年の第91回大会で初優勝を飾りました。初優勝してから9年しかたっていないのに、4連覇を含む優勝6回をしており、3位以内が8回という圧倒的な成績を誇っています。この時代で、箱根駅伝を語るうえでは欠かせない存在となった青山学院大学が初優勝したのが2015年の大会です。

この大会では、青山学院大学の神野大地選手が5区で圧倒的な強さを見せつけて、2位から1位に順位を上げて青山学院大学初の往路優勝を飾りました。今のコースだと、5区の距離が短縮されていて神野選手ほどのタイム差は出にくくなっていますが、それでも驚異的なペースです。

復路は青山学院大学がそのまま1位をゆずらず、初めての総合優勝を飾っています。そして、記録の面でも素晴らしい大会になっています。2015年の大会では、青山学院大学が史上初めて総合タイムを10時間50分を切っています(10時間49分36秒)。それまでの最速タイムは、2012年に東洋大学が記録した10時間51分36秒でした。全10区間で2分縮めているということは、1区間あたり12秒近く縮めないといけないわけです。かつ、1位と2位のタイム差が10分以上つく圧倒的な強さでの優勝でした。

1位とのタイム差が2位であっても10分ついてしまうというのは、圧倒的すぎて追う側のチームからするとかなり厳しいタイムになってしまいます。そんな圧倒的な強さを示しての初優勝は見事でした。

3.学連選抜が過去最高の4位入賞(2008年)

3番目に挙げたのは、学連選抜チームが過去最高の4位入賞を果たした第84回大会です。

学連選抜チームに関してはルールの変遷がありますが、この大会の時点では予選会に出場していながら、本戦に出場できなかった上位の学校から1人ずつ選手が選ばれて、選抜チームを組んで走っていました。2008年当時は、関東学連選抜という名前で、タイムや順位も公式記録として認められていました。(2023年大会では、関東学生連合というチーム名で記録は、参考記録として扱われて公式な順位はつかなくなっています。)

学連選抜のチームは、予選会後に編成されることや選手の所属するチームがバラバラなので、なかなか上位に入ってこれない場合が多かったです。2008年当時は、学連選抜のチームが10位以内に入った場合、予選会から出場する大学の数が翌年1枠増えるルールになっていました。つまり、学連選抜の順位を上げると自分のチームが翌年本戦へ出場する可能性を増やすことができるルールになっていたんです。そして、学連選抜の監督は予選会の順位が、出場次点(つまり、ギリギリ本戦に出場できなかった大学の監督ということです)の学校の監督が務めることになっていました。第84回大会の学連選抜チームの監督をされていたのが、のちに青山学院大学を何度も優勝に導く原監督なんです。

2008年の第84回大会時点では、そのすごさは私自身知りませんでしたが、振り返ってみても学連選抜チームがなかなか上位に入っていないことを考えると歴史的な快挙だったといえます。学連選抜チームの4位というのは、今まででも最上位の成績です。

2.早稲田大学が大学駅伝3冠達成(2010年)

2番目に挙げたのは、早稲田大学が大学駅伝3冠を達成した2010年の第87回大会です。

この年は、早稲田大学が箱根駅伝以外の出雲駅伝・全日本大学駅伝を優勝していて、箱根駅伝で優勝すれば学生三大駅伝を制覇できる状況にいました。2023年に駒澤大学が箱根駅伝で優勝して学生駅伝3冠を達成していますが、その前に3冠を達成したのが2010年の早稲田大学です。

このときの箱根駅伝は、5区に柏原選手を擁する東洋大学が2年連続で優勝しており、箱根駅伝で優勝するには5区で柏原選手に取られるタイム差をどうやって埋めるかというのが、東洋大学以外の大学の課題でした。5区だけで、2~3分を簡単にひっくり返されてしまうので、そのタイム差を5区以外でつけないといけないと考えると、かなり難しい戦いになります。

この年の早稲田大学は、1区から攻めのオーダーを出していました。東京五輪のマラソンにも出場されていた、大迫選手を1区から投入して、ロケットスタートを切りにいったんです。例年、1区はすべての大学の選手が横並びでスタートするため、序盤は選手同士が牽制しあう展開になって、なかなかペースが上がらないことが多いです。しかし、大迫選手は序盤から独走態勢に入り2位に54秒、3位には1分53秒もリードを奪って2区にタスキをつなぎました。結果的に、このロケットスタートの貯金が最後まで効いていたのがこの大会です。

とはいえ、前年まで2年連続で優勝している東洋大学には5区に圧倒的な強さを持っている柏原選手を擁しています。5区スタート時点で、1位の早稲田大学と3位東洋大学のタイム差は2分54秒差がありました。しかし、途中地点で早稲田大学を捉え、芦ノ湖フィニッシュ地点では早稲田大学に27秒差をつけて東洋大学が往路優勝を飾ります。

往路優勝していますし、5区のタイム差だけ見ると東洋大学の強さが光っていました。しかし、27秒差というのは復路の結果次第では逆転可能な秒差です。結果的に、山下りの6区で早稲田大学が東洋大学を逆転しそのまま最後まで1位を維持して、早稲田大学が総合優勝を飾りました。この時2位は東洋大学でしたが、1位と2位のタイム差がわずか21秒という僅差でした。優勝と2位のタイム差がこれほど僅差なことは珍しく、紙一重の差で早稲田大学が優勝を勝ち取ったことがわかります。実際に、大手町のフィニッシュ地点では、2位で早稲田大学を追う東洋大学から早稲田大学の選手の姿が見えていました。

学生駅伝3冠を達成することは非常に難しく、このあと2023年の駒澤大学まで出ていませんでした。5区で圧倒的な強さを誇っていた柏原選手を擁する東洋大学に勝ったという点で、2010年の早稲田大学の強さが光っていた印象的な大会です。

1.柏原選手のルーキーイヤーに東洋大学が初優勝(2009年)

1番目として挙げるのは、近年の箱根駅伝を語るうえでは欠かせない、柏原選手を擁して東洋大学が初優勝した2009年の第85回大会です。

この大会は本当に驚いた大会でした。正直なことを言うと、誰も東洋大学が優勝するとは思っていなかったであろう大会で、1年生ルーキーが試合をひっくり返したようなレース展開です。

往路の序盤では、 早稲田大学と山梨学院大学が上位でレースを展開していました。山梨学院大学は2区に留学生を擁しており、圧倒的な強さを見せており、早稲田大学が選手層の厚さを見せて、5区開始時点で1位が早稲田大学、2位山梨学院大学でした。東洋大学は9位で、1位とは4分58秒差がありました。このタイム差から東洋大学が1位になるなんて、誰も思っていなかったはずです。

そこから、柏原さんがごぼう抜きを展開して小涌園前の時点で1位とのタイム差1分19秒の3位に浮上しました。この時点で3分30秒近く詰めているので驚きですが、芦ノ湖フィニッシュ時点ではトップだった早稲田大学を抜いて東洋大学が1位となり、逆に2位に22秒差をつけて往路優勝を飾りました。5区だけで、5分30秒タイム差をひっくり返されていることになります。

例年、箱根駅伝で1年生ルーキーが走ることはありますが、1年生がいきなり走って1人で5分30秒もタイム差をひっくり返してしまうことは圧倒的でした。復路では、後続の早稲田大学に一時逆転されますが、8区で逆転して、東洋大学が初の総合優勝を飾っています。

東洋大学は、箱根駅伝に出場する常連校ではありましたが、第85回大会時点で出場回数67回にもかかわらず優勝はありませんでした。第85回大会で初の優勝を記録しています。東洋大学は、初優勝した第85回大会から、第95回大会まで11年連続で3位以内という非常に安定した成績を残しています。第99回大会では10位で、ギリギリシード権を取れたようですが、東洋大学は長年非常に安定して上位の成績を残していた印象があったので、時代が変わったことを感じました。

まとめ

この記事では、過去15年間(2008年から2023年)の中から私の独断と偏見で選んだ名場面Top5を紹介しました。15年も見ていると、歴史に残る大会がいくつもあることを実感しました。

昔から箱根駅伝を見ている方も、最近見始めた方も、柏原さんが初登場した2009年の第85回大会は非常に印象的なので、是非調べてみていただけるとうれしいです。学連選抜4位の監督が青山学院大学で監督をされている原監督だったことも、知る人ぞ知る話です。

おわりに

ここまで読んでいただいてありがとうございます。記事の中でよくわからない点がありましたら、コメント欄かお問いあわせフォームからご連絡いただければお返事できるようにいたします。それでは、今回はここまでです。次回の記事でお会いしましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次