すずめの戸締まり考察第二弾~謎の多いダイジン・サダイジンは結局何者なのか?~

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みなさんこんにちは。このブログを書いている東急三崎口です。

今回は、すずめの戸締まり考察第二弾として、今作最大の謎であるダイジン・サダイジンが何者なのかについて考察します。釈然とする解釈かどうかはわかりませんが、作中で明確に描かれていない部分が多いので、あくまでも私の解釈です。(2022/11/21修正宮崎で鈴芽が後ろ戸を開けたときに、常世が見えなかったと書いていましたが、改めて確認したところ後ろ戸の中に常世が見えていたのを確認したので、その部分を修正しています。

この記事は、すずめの戸締まりを観ているor内容を知っている前提で書いています。まだ観られていない方は、ぜひ劇場でご覧になってください。映画の概要も記事にしていますが、なかなか文章だけで内容を理解するのは難しいと思います。(自分で書いていながらそう感じるので、興味がある方は劇場で観るのが一番です。)

小説版を読んで書いた考察記事もありますので、興味があるかたはこちらも読んでみてください。

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目次

なぜ宮崎には現世に要石があったのか

さて、この記事では謎の多いダイジン・サダイジンについて考察していきます。その前に、はっきりと描かれていないものの謎が残る部分について、まず考察していきます。最初の謎は、最初に後ろ戸が開いた宮崎では、なぜ現世に要石があったのかということです。

私も他の方が作っておられる考察動画を見ましたが、これに触れている方は見当たりませんでした。私が、疑問に思っているだけなのかもしれませんが、よくよく考えると現世に要石があるということ自体が、作品の中で特異な描写だと思います。というのは、他の場面で「要石」が要石の形で出てきているのはすべて「常世」の世界の中なんです。不思議なことに、鈴芽が東京で草太を要石として刺したのは現世にもかかわらず、皇居の地下で要石となった草太は現世にいました。また、鈴芽が過去に自分が開けた後ろ戸を開けて草太と二人で要石を刺したのは、常世の世界でした。基本的に、要石が要石の形で存在するのは常世の世界のはずなんです。しかし、冒頭で鈴芽が要石を抜いたのは現世の世界です。鈴芽が要石を抜いたところは、扉の開閉回数を数えると実は常世だったという解釈もできなくはないですが、少なくとも作中で常世は常世として、現世とは明確に区別された世界として描かれていたので、今回はこの解釈を取らないことにします。

では、なぜ冒頭で鈴芽は現世にいながら要石を抜くことができたのでしょうか。これは、作中で明確な描写はありませんが、宮崎にあった要石と鈴芽がもともと何らかの関係性を持っていて、要石が鈴芽に引き寄せられる形で現世に現れたからではないかと考えています。この、鈴芽と要石の何らかの関係については、ダイジン・サダイジンとは何者なのか?の部分で詳しく解説します。

宮崎で後ろ戸を開けた時、常世が見えなかったのはなぜか

次の問いは、鈴芽が宮崎で最初に後ろ戸を開けた時、常世が見えなった理由についてです。もともと、鈴芽は常世を見る力を持っていて、それは4歳の頃亡くなった母を探して、死後の世界である常世に迷い込んだことがあるからだとされています。宮崎と愛媛でミミズが出てきている後ろ戸を閉じるときは、扉の中を見るシーンは無く神戸の遊園地のシーンで、観覧車の窓越しにミミズが出てきている世界が過去の自分の記憶にある世界(=常世)だと認識して、そこに入ろうとしています。東京で草太を要石として刺したあと、皇居の地下にある後ろ戸を見たときもミミズは出てきていませんが、その中には常世が見えており、要石となった草太がくっきりと見えています。しかし、宮崎で後ろ戸を開けたときには後ろ戸の先の世界は常世ではなく現世になっています。鈴芽が扉の先に足を踏み入れても、現世が反転して出てくるだけです。この理由は、一つ考えられるのは、自分が常世が見えるということを意識していないため、他の通常の人と同じように常世が見えなくなっていたのではないかということです。おそらく、最初に扉を開ける前は、鈴芽は自分が常世が見えることを意識しておらず、要石だったダイジンを抜いた時に、常世が見えるようになったと考えられます。というのは、ダイジンを抜いたあと、学校から廃墟の方向を見たときには、ミミズが見えるようになっていたからです。他のクラスメイトは、ミミズが見えないことが明確に描写されていたので、ダイジンを抜くことが鈴芽が常世が見えるようになるトリガーだったと考えられます。(2022/11/21修正。宮崎で鈴芽が後ろ戸を初めて開けた時、後ろ戸の奥に常世が見えていました。つまり、以前考察したダイジンを抜くことがトリガーとなって鈴芽に常世が見えるようになったという解釈は間違いでした。鈴芽が宮崎で最初から常世が見えていたということは、鈴芽が常世を見る力を持ったのは、4歳の頃亡くなった母を探して宮城の後ろ戸から常世に迷い込んだときだったと考えられます。ダイジンに会おうが会うまいが、常世を見ることのできる超自然的な力を持っていたと考えるのが妥当だと思っています。そうすると、それまで地震が起こった時にミミズが見えていなかったのはなぜなのかという謎は残りますが、少なくとも鈴芽は4歳の頃から超自然的な力を持っていた特別な存在であったといえます。)

東京の要石はなぜ抜けたのか

さて、舞台は東京に移ります。東京では、草太の家にいるときに緊急地震速報が鳴り、巨大なミミズが出ていることがわかりました。草太の家で史料を調べているときに、東西2つの要石があり、片方は宮崎・もう片方は東京にあると作中で出てきているので、東京でミミズが出てきたのは東京にあった要石が何らかの要因で抜けたからだと考えられます。この時要石が抜けた原因として考えられる候補として、「誰かが意図をもって要石を抜いた」ことと「人為的な力によらず勝手に要石が抜けた」ことの2つがあります。前者の「誰かが意図をもって要石を抜いた」とすれば、候補に挙がるのはダイジンしかいません。しかし、ダイジンは鈴芽を振り回しているように見えますが、結果的に鈴芽を助ける立場にいます。また、愛媛や神戸の場合もダイジンが後ろ戸を開けた描写は無く、むしろ後ろ戸が開く場所に鈴芽を導いています。そう考えると、東京でダイジンが要石を抜いたという可能性は限りなく低いと考えられます。とすると、後者の「人為的な力によらず勝手に要石が抜けた」と考えるのが自然です。その理由を考えてみると、草太が家で史料を調べているときに口にしていた、時代によって要石は適切な場所に配置しないといけないということです。つまり、鈴芽が宮崎の要石を抜いてしまったため、2つでセットの要石の片方が抜けてしまい、バランスが崩れてもう1つの要石である東京の要石が抜けてしまったということです。これは、それほど突飛な想像ではなく、妥当な解釈なのではないかと思っています。もし、他の解釈があれば教えていただけると幸いです。

ダイジン・サダイジンは何者なのか

さて、前置きが長くなりましたが、ここから「すずめの戸締まり」の最大の謎であり、物語の解釈を難解にしているダイジンとサダイジンが何者なのかについての考察をしていきます。

すずめとダイジンの関係性をおさらい

まずは、鈴芽とダイジンの関係性をおさらいしていきます。前回の記事の「ダイジンと鈴芽の関係性」で解説しましたが、鈴芽とダイジンの関係性は、鈴芽と環さんの関係性とシンクロしています。ネコの姿のダイジンに対して鈴芽は「うちの子にならない?」と言っていますし、4歳の鈴芽に対して環さんは「うちの子になろう」と言っています。また、ダイジンは神出鬼没で鈴芽と草太を翻弄していますし、鈴芽は宮崎から理由も説明せずに東へと向かっていき環さん鈴芽に振り回されています。鈴芽とダイジンの関係性は、東京で草太を要石として刺したあと目を覚ました皇居の地下で崩壊していますし、鈴芽と環さんの関係性は宮城へ向かうサービスエリアで崩壊しています。どちらの関係性も、最終的には和解しているのも同様です。前回の記事では、ダイジンと鈴芽の和解(つまり関係性の修復)は、ダイジンが要石に戻ることだと書きました。ここまでは、観ればわかる話と言ってしまえばそれまでです。前回の記事を書き終わったと、冷静に考えてみるとダイジンと鈴芽の関係性と、鈴芽と環さんの関係性がシンクロしていることはわかるものの、ではダイジンとサダイジンが何者なのかには全くいきつかないことに気づいてしまいました。というわけで、2つの関係性がシンクロしていることを前提にして、ダイジンとサダイジンが何者なのかについて考えていきます。

皇居の地下の出来事

ここで、鈴芽とダイジンの関係性の崩壊が描かれていた皇居の地下の場面を考えます。皇居の地下の場面では、後ろ戸の奥に常世が見え、その中に要石となった草太がいました。ダイジンは、草太はもう常世の世界から出られえないから、鈴芽と遊ぼうと言いますが、鈴芽はそれを拒絶します。この場面では、鈴芽とダイジンの関係性の崩壊が、「常世」に要石が見えている場面で起きます。この場面を言い換えると、「常世」に要石がある状態で、鈴芽とダイジンの関係性が崩壊したと捉えることもできます。次に、関係性が崩壊することをすこし踏み込んで解釈すると、心理的な要石が外れたと表現できないでしょうか。鈴芽は皇居の地下でダイジンを拒絶したときに、二度と姿を見せないでと言うだけにとどまらず、あからさまにダイジンの首をしめています。都合のいい解釈かもしれませんが、草太が要石となった原因がダイジンにあり、ダイジンに対して抑えていた感情が爆発していることを示していると思います。この心の中で抑えていた感情をミミズに例えると、抑えていた感情が爆発することは心の中にあった要石が抜けたことを示しているとも言えます。もう少し踏み込むと、心理的な要石が抜ける時(つまり、関係性が崩壊する時)には現実世界には要石があると捉えることはできないでしょうか。これは、私なりの解釈ですがこのことを前提に、名場面であるサービスエリアでの鈴芽と環さんのやりとりを見ていきましょう。

SAでのすずめと環のやりとり

東京から宮城への道中で、雨が降ってきたのでサービスエリアで芹澤・鈴芽・環さんの3人が休んでいるところで、鈴芽と環さんが言い合う場面が出てきます。サービスエリアに入るきっかけが、雨が降ってきたことですし、このあと物語が急転することはある程度想像できていました。よく考えると、雨が降ってくる前に、鈴芽と環さんの関係性が崩れる伏線はあったように思います。些細なことですが、芹澤の車で宮城へ向かっている道中、環さんが起きているときは鈴芽は寝ており、鈴芽が起きているときは環さんは寝ています。これは、寝ているという状態が、二人は逆であることを示しています。つまり、寝ているタイミングという形で2人がすれちがっていることを暗示しているのだと思います。そもそも、東京で芹澤の車に乗るときも、鈴芽はついてきてほしいなんて言ってないと言い、環さんは鈴芽を宮崎へ帰らせようとします。この場は、結果的に環さんが折れて一緒に宮城に行くことになりますが、2人の間にすれ違いが起きていて、心の中には心理的なミミズが蓄積されているはずです。雨が降ってきたため、立ち寄ったサービスエリアで、これ見よがしにご飯も食べず宮城に行く理由も説明しない鈴芽に対して、環さんの心理的な要石が外れます。鈴芽がいたから、婚活もうまくいかなかったし、人生めちゃくちゃだ、私の人生返してと言ってしまいます。鈴芽がうちの子になろうと言ったのは環さんだと反論しても、環さんはそんなこと覚えてないと言います。この時に、鈴芽があなた誰?と聞くと、環さんがサダイジンと答えるわけです。そして、サダイジンが黒猫として実体化し、環さんは倒れこんでしまいます。

ここで、鈴芽が環さんに「あなた誰?」と聞くところから、環さんとサダイジンが入れ替わっていた、もしくは環さんがサダイジンに憑依されていたという解釈もありますが、私はそうではないと思います。「あなた誰?」のセリフは、「君の名は。」での三葉の父親のセリフ「お前は誰だ?」を思い出します。このシーンでは、たしかに三葉と瀧が入れ替わっていて、そのことが物語に重要な役割を持っていました。感覚的には、すずめの戸締まりでも「あなた誰?」というセリフが出てくると、環さんと誰かが入れ替わっていると想像できてしまうのもわかります。しかし、すずめの戸締まりではサダイジンはそれまで登場しておらず、もともと要石だったわけですから、神に近い存在であり、わざわざ環と入れ替わったり、環に憑依する必要性が無いです。では、サダイジンは何のために出てきて、何者なのか?という疑問が残るわけです。私も、このことが1回目観たときには理解できませんでした。

現実世界の要石と心理的な要石

ここからは、あくまでも解釈ですが、関係性の崩壊(心理的な要石が外れるとき)に着目すると、関係性の崩壊が起こる時には要石があるというという説です。鈴芽とダイジンの関係性が崩壊したときには、常世にいる草太が要石として場面にいました。鈴芽と環さんの関係性が崩壊したときには、サダイジン(もともと要石)が出てきました。前者の時には、常世の世界に要石として草太がいました。後者の場合は、全員現実世界にいますが、要石が要石から解放されると石の姿ではなく、何かしらの動物の姿になることがダイジンの時に示されています。そうすると、サダイジンも要石が抜けたあとは石の姿ではなかったであろうことは想像できます。そして、環さんの心理的な要石が抜けたことをトリガーにして、現実世界のもう一つの要石として鈴芽の前に姿を現したのではないかと思います。心理的な要石が抜けたということは、心理的な世界の心の扉が開いたとも捉えられるので、現実世界で一種の扉が開いてサダイジンが実体化することになったのではないかと思います。読者の皆さんはどうでしょうか。ちょっと釈然としないでしょうか。釈然としない方がいらっしゃってもおかしくないので、ここから踏み込んで結局ダイジン・サダイジンは何者なのかについて考察していきます。

要石になる=究極の自己犠牲

ダイジンもサダイジンも最終的には、要石となり鈴芽と草太を助けます。物語では、すんなり要石に戻ってしまうので、要石になることがどういうことはは終盤ではあまり重視されていなかったのかもしれませんが、要石となるということは、数十年単位でそこから動けなくなることを意味しています。草太が要石になった時は、相当強く描かれていたのに、最後のシーンは結構あっさりでしたね。ここで、何を言いたいかと言うと、要石になるということは、自分が自由に生きることを放棄することになるということです。少なくとも、何にも関係性が無いのに自由に生きることを放棄する選択を取るというのは不自然です。そうすると、鈴芽の刺す要石になったダイジンは、鈴芽と何かしらの関係性があり、草太の刺す要石になったサダイジンは草太と何かしらの関係性があったことは明らかです。これが作中では描かれていないので、最後にダイジンとサダイジンがすんなり要石になってハッピーエンドを迎えることに違和感を持たれる方もいらっしゃったかもしれません。

ダイジン・サダイジンはそれぞれの親の象徴

ここからは完全に私の解釈です。ダイジンとサダイジンは、神に近い力を持って転生した鈴芽の母と草太の父なのではないかというものです。異論もたくさんあるかと思いますが、私なりの解釈を提示します。

まず、ダイジンに関しては要石の段階で鈴芽と現世で出会っています。これ自体が、作品中で特殊なことであることは「なぜ宮崎には現世に要石があったのか」で言及しました。この特殊なことが引き起こされる理由として考えられるのは、鈴芽とダイジンの間に強い関係性があることくらいしか考えられません。強い関係性というと、漠然とした表現ですが、つまりは鈴芽は気づいておらず、作中でも全く表現されていませんが、ダイジンは鈴芽の亡くなった母親が形を変えたものであるという解釈です。要石となっているので、神に近い力を持っていることは作中でも明らかですが、ダイジンは常に鈴芽を助けています。また、どれだけ鈴芽に拒絶されたとしても鈴芽についていき、最後に常世の世界で要石に戻り究極の自己犠牲を払って鈴芽を助けています。これらのことを考えると、この立ち位置には鈴芽の母親しかなりえないのではないかと思います。この説には、そもそもそれならダイジンが草太をイスに変える必要は無いではないか?というのが反論として考えられます。この反論は正論です。たしかに、草太をイスの姿に変えることが無ければ鈴芽が宮城に行くことも無かったわけです。一つ考えられるとすれば、トータルとして鈴芽を宮城から常世へ導くことで鈴芽の過去に対しての感情を解放して、未来を見て生きていくことを4歳の鈴芽に伝えさせることがダイジンの究極の目的だったという風に考えることはできるんじゃないかと思います。

次に、サダイジンに関しては草太の父親の転生である可能性が高いと思っています。その理由としては、草太の祖父である羊郎が病院で鈴芽に会った時に、「草太はしくじったか」と聞いていることです。しくじったの意味としては、後ろ戸を閉めることがかなわず、自らが要石になってしまったことを暗示しています。ここで、しくじったか?と聞くということは、過去にしくじった人がいたことを示唆しています。そして、草太の父は作中では全く描かれておらず、祖父が育ての父だと言っています。このことから、草太の父は閉じ師であったものの、扉を閉じることに失敗し要石の形になってしまったことを暗示していると考えられます。また、最終的に常世の世界では元の姿に戻った草太の願いを聞き、サダイジンが草太が刺す要石となっています。サダイジンについては、登場したシーンが鈴芽と環さんの関係性が崩れるシーンだったので唐突な感は否めませんが、ここについても一つの解釈ができます。鈴芽が宮城に向かっていた理由は、常世にいる草太を元の姿に戻すことが目的です。そのためには、自分が犠牲になって要石になってもいいと思っています。そして、サービスエリアのシーンで環さんとの関係性が崩れます。ここで、鈴芽が持っている意思は「自分が犠牲になってでも、要石になってしまった草太を元の姿に戻すこと」です。つまり、自身の願いを何よりも優先しているわけです。一方、環さんとの関係性というのは、現実世界で生きていくために鈴芽にとっては必要なものです。実際、鈴芽にとってはこれまで生きていくために必要だったから、環さんの気持ちもなんとなく察していながらも、お互いの本心はぶつけずに12年過ごしているわけです。サービスエリアの場面では、鈴芽は「自分が現実世界で生きていくこと(環さんとの関係性を維持すること)」よりも、「自分の願いをかなえること(草太を元の姿に戻すこと)」を優先しています。つまり、鈴芽は自身が生きることよりも、草太を元の姿に戻すことを優先しています。そして、その願いが環さんの心理的な要石を抜いた時に、それほど息子を元の姿に戻すことを願っている鈴芽を助けるために、現実世界に黒猫の姿で実体化したのではないでしょうか。こう考えると、あのサービスエリアでサダイジンが唐突に登場した理由も理解できなくはないのではないかと私は考えています。結果的に、サダイジンは鈴芽と常世に行き、要石として草太を助けているので、ありえなくはない解釈だと私は思っています。反論として考えられるのが、サダイジンが草太の父親であったならば、もっと早く草太を助けることができたのではないか?という意見です。それは、指摘の通りです。しかし、東京の要石は鈴芽と草太が東京に行ったときに外れたわけで、それ以前は動きようがありません。また、東京には草太の祖父がいたため、サダイジンが出てこなくても鈴芽が宮城に向かうことができたと思うと、サダイジンが出てくるタイミングが無かったのかもしれません。

ここまで長々書いてきましたが、これが私が提案するダイジン・サダイジンの一つの解釈です。考えが足りていないところや、解釈がが違う部分もあるかと思いますが、これは一つの解釈なので、他の考えがあったり、もっとわかりやすい解釈があると、教えていただけると嬉しいです。

まとめ

今回は、すずめの戸締まりの考察第二弾として、ダイジン・サダイジンが結局何者なのかについて解釈しました。長くなりましたが、今回の記事はここまでです。記事の中でわからないことがあったり、明らかに違うだろうと思われることがありましたら、コメント等をいただけると嬉しいです。それでは、次回の記事でお会いしましょう。

小説版を読んで書いた考察記事もありますので、興味があるかたはこちらも読んでみてください。

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