北海道横断旅行記第4日目(釧路→札幌)~ジンギスカンと破綻した夕張をめぐる~

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みなさんこんにちは。このブログを書いている東急三崎口です。

今回は雑記です。北海道旅行記の連載5本目を書きます。以前の記事はこちらです。

1本目では旅行の内容の前段である、旅行計画について書きました。2本目は、移動がメインでしがた札幌になんとか到達できた話を書いています。3本目は、札幌競馬場と帯広競馬場を1日ではしごした話を書きました。4本目は、帯広から釧路まで移動して北海道最東端の納沙布岬を巡って釧路まで戻ってきた話を書きました。

5本目となる今回は、釧路から廃線跡がある白糠(しらぬか)から帯広を経由し、破綻したことで有名な夕張を通り札幌へ戻ります。この旅行の中で一番マニアックな1日になっていますが、異世界に入ったような感覚を体験することができました。白糠や夕張に実際に行く機会は少ないと思うので、異世界を体験するような気持でお楽しみください。

目次

4日目の行程

4日目の行程は、釧路をスタートして、帯広に戻る途中にある白糠線の廃線跡に立ち寄ります。白糠を発ったら、帯広で昼食を取り破綻した市として有名な夕張を経由し札幌へ戻ります。地図で表すと、このような行程です。

地図で表すと、4日目もかなりの距離を移動します。北海道を横断するような移動です。我ながら、この行程を組んだときに4日目は、廃線跡と破綻した夕張をめぐるので、廃線跡と廃墟を見ることになることは覚悟していました。廃墟を目の当たりにしてどんな感情になるのかは、行く前には想像できませんでしたが、結果的に行ってよかったと思えたので収穫です。そもそも、人生で夕張に行くことになる人はほとんどいないことを考えると、20代のうちに訪れることができたのは良かったと思っています。

ちなみに、廃線跡は私の希望で、夕張に行くのは同行していたA氏の希望です。夕張に関しては、破綻した市であることは知っていましたが、当初そこまで強く行きたいと思っていたわけではありませんでした。ただ、A氏が札幌競馬場と帯広競馬場の次に行きたいと言っていたのが夕張なので、何かしらあるんだろういう根拠のない期待を持っていたところもあります。結果的に、行ってよかったと思えたので結果オーライでした。それでは、まずこの日最初に訪れた白糠線について、少しだけ紹介します。

白糠線

白糠線と聞いて、どこにあるのかご存じの方はほとんどいらっしゃらないと思います。正直なことを言うと、白糠線だけでも1本記事が書けるくらいなので、今回の旅行記としてはちょっとだけ触れます。

白糠線は、北海道の白糠駅を起点にして炭鉱の貨物輸送のために作られた路線です。1964年に開業して、1983年に廃止されたので実質20年くらいしか存在しなかった路線です。今となっては、開業していた期間より廃止さてからの期間の方が長いくらいです。この白糠線がなぜ有名なのかというと、国鉄時代に赤字路線としてリストアップされた路線の中で一番最初に廃止されたんです。

白糠線の存在は、小学生の頃に知っていたので、初めて知ってからかれこれ20年近く経ちます。いつか行きたいなと思っていたんですが、北海道には高校生の修学旅行以来いっておらず、廃線跡で周囲の人口が極端に少ないので訪れるとすれば、車を使うしかないので、いつかいつかと思いつつ今まで行けずじまいでした。そんなぼんやりとした気持ちを持っていたら、今回の旅行では、納沙布岬まで車で行くではありませんか。途中で少しでいいので寄ることはできるはずだと思って寄ることにしました。

白糠線の遺構はたくさん残っているんですが、その中で上茶路(かみちゃろ)駅跡を紹介します。今回訪問する事前調査として、「廃線探索 白糠線」を利用させていただきました。

上茶路駅

まず、上茶路駅はあくまでも廃線跡のため駅跡まで近づかないといけません。比較的容易に近づけると言われているんですが、それらしき場所に近づいてみるとこの様です。

8月に訪れたので、夏真っ盛りで草が生い茂っています。

ぱっと見ると、ただのわだちがついている道にしか見えませんが、道道の665号の看板が立っています。

その下には、拡大してみると「道道上茶路上茶路(停)線」と書いてあります。これを見て、この先に本当に上茶路駅があったことを確信しました。

その後、奥へ進んでいくと木々の中に人工物があることに気づきます。

何も知らずに見ると、ただの森の中に見えるんですが、写真の真ん中あたりに横につながる、人工物が見えないでしょうか。これが、上茶路駅跡のホームです。朝9時前に訪れたので、朝日が差す中森の中に打ち棄てられた人工物があるという光景が、神秘的でかつ怖さも感じました。

上茶路駅跡に行ったのは、すずめの戸締まりを観る前ですが、こんな世界にもし扉があったとしたら、異世界と現実世界をつなぐ扉に見えてしまいます。扉は実際には無かったですが、本当にこのまま奥へ進んでいくと異世界へ行ってしまうんじゃないかと錯覚するような光景でした。写真だけだとうまく説明できないのが残念です。

他にも写真は撮ったんですが、一番神秘的で異世界の入り口のように感じられた部分を紹介するだけにしておきます。白糠線については、別口で記事を書く予定なので詳しく見たい方は執筆をお待ちください。

白糠から帯広への道中

上茶路駅跡以外にも、廃線跡は回ったんですが、時間の都合で10時過ぎには次の目的地である帯広へ向かいました。それは良かったんですが、帯広へ行く最短経路として国道274号線をナビが示しています。最短経路のようなので、しばらく道なりに走っていると、携帯が圏外になりました。国道を走っているのに、圏外になるってこの時代にありえるのかよ?と思いながら走っていました。私もA氏もDocomoユーザーだったので、Docomoは少なくとも圏外になっていました。本当に、国道沿いには民家が無く無人地帯のようです。人家が出てきたあたりから、圏外ではなくなりました。たまたま圏外になったのか?と思って、あとあとちゃんと調べてみました。

すると、驚きの結果になりました。なんと、Docomo・KDDI・ソフトバンクの3社とも圏外だったのです。

これが、ドコモのエリアです。

赤丸で示した部分は、エリア外となっています。KDDIは、このとおりです。

KDDIでもエリア外です。

一応ソフトバンクも調べました。

ちょっと見にくいですが、やはり圏外です。

結果的に、どのキャリアのスマホを持っていても圏外になったというのが結論です。北海道に行くとはいえ、国道で携帯が圏外になることは想定していませんでした。しかも、周囲が無人地帯なので何か起こった時に手の打ちようがないわけです。実際には、特に何も起こりませんでしたが、仮に車が故障しようもんなら、連絡の取りようがない状態になっていたかもしれないわけです。通り過ぎる車を待つくらいしかありませんが、この区間は道東道が並行して走っているため、交通量が極めて少ないです。実際に訪れた際も、この区間を通っていたのは大型車両1台のみでした。対向車は皆無です。そんな状況なので、もし何かがあったらどうなっていたんだろうと思います。各社のエリアマップを見ると、北海道では国道沿いでも圏外になる場所がそれなりにあるようなので、北海道に旅行に行かれて車で移動される際は気を付けてください。

帯広の豚丼

そんなこんなで、帯広に到着しました。時刻はちょうど11時頃です。ちょうどお昼に近い時間なので、帯広で豚丼を食べることにしました。帯広って豚丼が有名なんですよね。ここで、A氏セレクションの豚丼屋さんに行きました。

ぶた丼のとん田さんです。(公式HPへのリンクを貼っています) 写真にも待っている方が写っているんですが、11時開店で11時に行って並んでました。。。結果的に、11時に並び始めて豚丼を食べられたのが12時過ぎです。驚きなのが、この日は8月の普通の平日だったんですよ。土日ではありません。それなのに、1時間待たないと食べられないという人気ぶりです。1時間待って食べられただけでも、ラッキーだったと思います。

豚丼は、ロース・バラ・ヒレ・ロースとバラの盛り合わせがありました。どうせ行ったのであれば、ロースもバラも食べたいと思って、ロースとバラの盛り合わせをいただきました。豚丼なのにクセが全然なくて、タレが効いていました。写真は撮っていませんが、本当に美味しかったです。

豚丼の具は、とん田さんの公式HPの通販から注文できるようですが、FAXのみの受付となっています。(2022/11/16時点) ちょっと手に入れにくいですが、ぶた丼のタレは通販でも売っていました。こちらがリンク先です。リーズナブルですし、本当に美味しかったので、ぜひ一度使ってみてください。


帯広市へのふるさと納税の返礼品の中にも、とん田のぶた丼のたれが入っているようです。ふるさと納税ならやってみてもいいかもという方も、ぜひゲットしてみてください。


とん田さんのぶた丼を美味しくいただいたあと、この日の2つ目の目的地である夕張に向かいます。

夕張

帯広から道東道を西へ進み、夕張にたどり着きました。夕張と一言で言っても広いです。南側は、道東道や石勝線が通っていて比較的人口も多いそうですが、我々が訪れるのは人口減少が進んでいると言われている北部の方です。夕張も夕張訪問だけで1本記事が書けるレベルなので、詳しい内容は後日記事にします。夕張の中でも印象的だったところを2つ紹介します。

かつてのメインストリート

夕張は、かつて炭鉱で栄えた都市です。炭鉱が閉山したあとは、観光開発に注力していましたが市の粉飾決算が発覚し、地方自治体の実質的な破綻を意味する財政再建団体に2007年に指定されました。有名なのが、夕張市の借金時計です。すさまじい額が出ていて、1秒ごとに返済が少しずつでも進んでいることを表しています。

借金時計で話がそれました。観光に注力していた名残が印象的だったので紹介します。これは、A氏曰くかつてのメインストリートだった通りです。

がらんどうとしていて、ほとんど人とすれ違うことはありません。

観光として映画産業を呼び込もうとした名残が今も残っていました。

ゆうばりキネマ街道は、2000年から商店街を活性化しようと、かつての映画の看板を展示するようにしたもののようです。基本的に、古い映画の看板が多かったのが印象的でした。夕張のがらんどうとした道を歩いていると、異世界に来たような感覚を抱いたんですが、その中でもこのキネマ街道のタイムスリップ感は段違いでした。

「君の名は」の看板がありました。見ればわかる話ですが、「君の名は。」ではありません。「君の名は。」が公開されたときに、過去に「。」がついていない君の名はもヒット映画になったという話題があったことを思いだしました。君の名はの映画は三部作だったようですが、1作目の公開は1953年らしいです。もう70年近く前の話です。劇場で観られた方は、当時10代だったとしても80代です。この看板が作られたのが2000年近くだったとしても、公開から50年経っています。果たして、仮にこの看板を見たとしてどれだけの人が、懐かしいと思ったり、興味を持ったりしたのか、甚だ疑問です。ある意味、こうやって記事にしていることは、興味を持っていると言えなくもないのかもしれませんが。

廃止された夕張駅

次に紹介するのが、廃止された夕張駅です。こちらが廃止されたのは2019年なので、比較的最近の話です。比較的最近とはいえ、使われなくなった夕張駅がどうなっているのか確認しておきたかったわけです。こちらが、旧夕張駅の外観です。

入り口は閉ざされていますが、現役で使われていたとしてもおかしくない外観をしています。駅自体は廃止されていますが、左側の窓の中に明かりがついているのがおわかりいただけるでしょうか。実は、建物の左側はカフェとして営業していました。(訪問日の2022/8/22現在) 時間の関係で中に入ることはできませんでしたが、過去の駅舎が取り壊されることなく使われているのに少し安堵しました。

駅舎の逆側から、当時使われていたホームを撮影しています。

線路ははがされておらず、ホームもそのまま残っているので、この場面だけ切り取ると、列車が来てもおかしくない雰囲気は残しています。とはいえ、廃止から2年半近く経っているのでレールがさび付いていて、ここには二度と列車がやってくることは無いことを示していて、少し悲しくなりました。

夕張に鉄道が開業したのが、1892年です。新橋-横浜間に日本で初めて鉄道が開業したのが1872年であることを考えると、20年後にこの地に鉄道ができたことになります。1889年に東海道本線が全通したことを考えると、その3年後に夕張に鉄道が敷かれていたことは、当時石炭の輸送がどれほど重視されていたかがわかります。それからおよそ100年で、炭鉱が閉山し鉄道すら廃止されてしまうなんて、当時夕張まで鉄路を作った人々は考えることさえしなかったのではないかと思います。人口推計を見ると日本は今後数十年にわたって、人口が減り続けていくことが予測されています。日本の中で、人口減少が極端に生じているのは夕張であり、夕張で見たものは決して他人事ではなく、数十年かかって地方都市はもちろんのこと日本全体に起こりうることだと思うと、恐ろしさも感じました。実際、A氏と夕張を訪れていた時も、ほとんど人とすれ違わなかったので、人口が本当に減っていることを実感しました。夕張で見たものがリアリティを持って自分の地元に起こったら手の打ちようがないわけで、何とかならないものかと考えさせられる経験でした。

メインストリートと旧夕張駅を紹介しましたが、現地では本当にたくさんの廃墟を目の当たりにしました。A氏に紹介してもらっていなかったら、自分の意思で夕張に行くことは無かったと思うと、20代のうちに行くことができてよかったと思っていますし、A氏には本当に感謝です。

札幌にて

かつての炭鉱都市である夕張を離れて、4日目の宿である札幌へ向かいます。夕張から札幌まで車で移動して、気づいたのは札幌から夕張って車だと1時間半くらいしかかからないんですよ。北海道最大の都市札幌から、1時間半しか離れていないのに、あれだけ衰退してしまうのが現実なんですね。

さて、気を取り直して札幌の宿にたどり着きました。廃墟をめぐって、かつ1日中運転していたのでまあまあ疲れたいたんですが、北海道旅行の最後の晩飯なので食べたいものを食べようということでジンギスカンを食べることにしました。

ジンギスカン

読者のみなさんんは、ジンギスカンは食べたことはありますか。私は、この札幌でのジンギスカンが人生で初めてでした。ジンギスカンといえば、特殊な形をした専用の鍋が有名ですが、羊の肉なわけですよね。牛・豚・鶏は想像できるんですが、羊の肉がいまいち想像できず、半分興味・半分怖さもありつつジンギスカンに挑戦することにしたわけです。鍋の形はこんな感じです。


札幌でジンギスカンと言うと、色々お店があります。私自身はあまり店にこだわりは無かったんですが、A氏が「だるま」という店がいいらしいというので、だるまに行くことにしました。札幌の市内に複数店あるんですけど、平日の夜にもかかわらずどの店舗も並んでいるんですよ。。。午後7時くらいだったと思います。

よくよく思い出すと、だるまのお店の前を1日目に札幌で夕飯を探す時に通っていました。1日目は金曜日の夜だったので、たくさん人が並んでいるのかと思っていたんですが、ど平日でも並ぶほどの人気店でした。かれこれ、1時間くらい並んでお店に入ることができました。

ジンギスカンは初めてだったんですが、流れとしてはまず最初に野菜を鍋の周りにある平たい部分で焼いて、真ん中の盛り上がっている部分で肉を焼くようです。だるまさんで選ぶことができる肉は、「成吉思汗(ジンギスカン)」「上肉」「ヒレ肉」の3種類です。焼いた肉は、特製のタレにつけて食べる流儀です。もちろん、アルコールを頼むこともできるので、私は生ビールをいただきました。最初は、恐る恐るではあったんですが、全然クセが無くて、タレも相まって非常に美味しくいただけました。頼める肉は3種類すべていただいたんですが、個人的にはヒレ肉が好きでした。またまた、食事の写真は撮っていないんですが、私の中では北海道に行ったら寄りたいお店になりました。

北海道は行けないけどジンギスカンは食べてみたいと思った方。だるまさんのジンギスカンは通販でも買うことができます。1人前が150~200gなので人数分注文すれば、おうちでジンギスカンが楽しめちゃいます。本当は、ジンギスカン鍋を買った方がいいんでしょうが、ホットプレートでも焼くことができるので、ジンギスカンを楽しんでみてください。だるまさんのタレがついているのが重要です。

こちらは、200gなので1人前です。


こちらは、200g×2なので2人前です。


もし興味があれば、上記リンクから購入してみてください。

5日目に備える

そんなこんなで、廃墟をめぐり豚丼とジンギスカンを楽しんだ4日目が終わりました。この日は、廃墟を夕張を歩いていた時間が長かったので、かなり疲れていた記憶があります。5日目は、新千歳空港から関西へ戻る予定になっていたので、飛行機に乗り遅れることさえしなければいいわけですが、札幌に来ているのでそれほど遠出はできないかなと思っていました。かつ、レンタカーを返してしまったので公共交通機関で行ける範囲という制限も付きます。そうすると、札幌から公共交通機関で行けて新千歳空港へのアクセスも悪くない場所に自然と候補が絞られてきます。旭川と小樽のどっちがいいだろうかと思っていましたが、小樽に行くことにしました。というわけで、5日目は小樽に行きます。

まとめ

今回の記事は、北海道旅行記の連載5本目でした。次回執筆予定の5日目は、ついに最終日です。札幌から小樽を回り新千歳空港から関西に戻ってくる日で関西に戻ってきたらこの旅行は終了です。この旅行記も終盤ですが、4日目が一番濃かったと思っています。3日目の納沙布岬も非常に印象的でしたが、夕張を訪れたことが何よりも自分の中で大きかったです。記事の中でよくわからない点がありましたら、コメント欄かお問いあわせフォームからご連絡いただければお返事できるようにいたします。それでは、今回はここまでです。次回の記事でお会いしましょう。

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