みなさんこんにちは、このブログを書いている東急三崎口です。
この記事では、1期生・2期生が全員卒業した乃木坂46をテーマにして、乃木坂46の同一性がどこにあるのかについて考えていきます。
乃木坂46とは何なのだろうか
この記事を読まれている方は、乃木坂46についてご存知だと思います。
2023年2月末で最後の1期生である秋元真夏さんが、2023年3月末に最後の2期生である鈴木絢音さんが卒業されて、乃木坂46は1・2期生が完全にいなくなりました。
2022年12月末に卒業された齋藤飛鳥さんが、2023年5月に卒業コンサートを行ったことで、名実ともに乃木坂46は3・4・5期生だけのグループとなったわけです。
大人数のアイドルグループの同一性を考えるのが今回のテーマです。同一性と考えた時に、メンバーに関しては卒業と新規加入を繰り返しているので、立ち上げ当初と現在のメンバーは完全に入れ替わっています。
つまり、メンバーの観点から見ると、立ち上げ当初と現在を比べると、乃木坂46の同一性は全くない(というか、全員入れ替わっている)ということになります。
これは、よく考えてみると不思議なものです。アイドルグループのファンの立場からすると、ファンになるのは個別の人になることが一般的です。昔の握手会、今のミーグリを考えても、個別の誰かの「握手券・ミーグリ券」を指定することからも明らかです。グループ全体が好きという人でも、一番の推しは存在するでしょう。
個別のメンバーを推すことからスタートしているのに、立ち上げ時と現在で完全にメンバーが入れ替わっていても、ファンの数が大きく減らないことの「からくり」は何なんでしょうか。
箱自体に価値がある?
1つ考えられるのは、乃木坂46という名前(看板という意味で”箱”と言います)自体に価値がある可能性です。
会社でもよくある話ですが、創業者が作った会社が有名になって、創業者が亡くなったとしても、会社の名前は広まっていてお客さんもついた状態になるような形に似ています。
一見すると、乃木坂46という看板に価値があって、そこにお客さんがついていると考えることもできます。
しかし、AKB48のことを思い浮かべると、必ずしもグループ名の知名度と人気が比例しないことがわかります。
というのは、乃木坂46とAKB48だったら、AKB48の方が知っている人は多いはずだからです。10年くらい前のことを思い浮かべると、AKB48の知名度・勢い・人気はすさまじいものでした。もちろん、乃木坂46の知名度も現在では非常に高いですが、AKB48の全盛期を知っている人からすると、知名度の広がり自体はAKB48の方があることには共感いただけるのではないかと思います。
大人数アイドルグループのPhase
ここで、大人数アイドルグループのPhaseを考えてみます。
大きく分けて、3段階に分けられます。
・1st Phase:初期メンバーが在籍している
・2nd Phase:初期メンバーは全員卒業したが、初期メンバーと同時に活動しているメンバーが在籍している
・3rd Phase:初期メンバーも初期メンバーと同時に活動したメンバーが全員卒業した
乃木坂46は、3つのPhaseのうち2nd Phaseに突入しました。
AKB48は、柏木さんが例外とすると3rd Phaseにいると考えられます。
お気づきの方はわかると思いますが、乃木坂46の公式ライバルである「僕が見たかった青空」は1st Phaseです。
・1st Phase:僕が見たかった青空
・2nd Phase:乃木坂46
・3rd Phase:AKB48(柏木さんを例外とした場合)
そう考えた時に、一番成長する可能性が高いのは1st Phaseにいるグループです。一方、2nd Phaseのグループは、ゆるやかな成長を目指すことになります。3rd Phaseのグループも緩やかな成長を目指すのでしょうが、現状維持だけでも大変でしょう。
なぜなら、既に知名度が高いということは、現状からファンを増やすことが困難になるからです。日本を市場に考えた場合、人口が減っていくことは変えられないので、乃木坂46やAKB48がこれ以上知名度を高めるのはかなり難しいといえます。(人口が増え続けている国が市場であれば、自然に人口が増えていくので新規ファンを増やし続けることも可能です。)
同一性を持っているものは結局何か
乃木坂46の1・2期生メンバーが全員卒業したことから、大人数アイドルグループの同一性がどこにあるのかを考えてみましたが、同一性とはっきり言えるものは見つからないです。
強いていえば、AKB48や坂道グループは、作詞家が全て同一人物なので、曲の歌詞に関しては同一性を持っているとはいえるでしょう。
ここまで考えて、結局同一性が見つからなかったというのも変な話かもしれませんが、実際のところ初期と現在を比べると、同一性を保っているものが無いわけです。
それでも、乃木坂46は女性アイドルグループの中での立ち位置を確立していますし不思議なものです。(そもそも、乃木坂46が何なのかを突き詰めて考える人なんて、そうそういないとは思いますが。)
結局、乃木坂46とは何なのか?を考えてみると、「それぞれの人の中にある乃木坂46像」というのが一番正しいのかもしれません。
乃木坂46のファンでない方からすると、乃木坂46と聞いてイメージする人は白石さんかもしれませんし、ファンの中では今の推しかもしれませんし、乃木坂OBの方であれば自分自身なのかもしれません。
個人が持っている乃木坂46像を一つのもので表すことができないから、初期と現在を比べて同一性を持つものが無いのだと思います。
この記事を書きながら、ミロのヴィーナスが頭に浮かびました。ミロのヴィーナスは、ギリシャ時代に作られたと言われている、両腕の取れた女性の彫刻像です。(見たことが無い方は、wikipediaのページで一度ご覧になってみてください。)
ミロのヴィーナスをテーマにした、評論が高校の頃の教科書に載っていました。内容としては、ミロのヴィーナスは両腕を欠損しているので、物理的な意味で言うと完全からは程遠い状態だが、見る人は像を見ると美しいと感じる。その理由は、ミロのヴィーナスは両腕を物理的に欠いているがために、見る人の中では見る人自身が理想だと感じる腕が無意識的に補完される。その結果として、物理的には両腕を欠いているにもかかわらず、見る人に美を感じさせるという普遍性のある美を獲得したのだという内容だった気がします。(10年以上前の記憶なので、間違っていたらすいません。)
乃木坂46は、ミロのヴィーナスのように物理的に欠損した部分はありませんが、大人数のアイドルであるが故に、人々の中に理想的な乃木坂46像を生むメンバーがいて、(自分自身の場合もあるかもしれませんが)そのメンバーの肯定的なイメージが各人の中にあるから、人気を保っているのではないかということです。
そういう意味では、大人数のアイドルグループとして活動してるが故に、長期的にグループを運営していく立場からすれば、属人性は最小化されていると捉えることもできるかもしれません。少人数(3~5人)のアイドルグループであれば、1人の卒業がグループへ致命的な打撃を与える可能性だってあります。
しかし、40人近い人数がいる場合は、1人の卒業で影響はもちろん出ますが、グループの存続という意味では、打撃は最小限にとどめられます。
乃木坂46の同一性が見つけられないのは偶然ではなく、長期的にグループを運営するために必要な条件だったのかもしれないです。
まとめ
この記事では、1期生・2期生が全員卒業した乃木坂46をテーマにして、乃木坂46の同一性がどこにあるのかについて考えてみました。
結局、同一性は無いが、それは偶然ではなくグループを長期的に運営するためには必要なことだったのではないかというのが結論です。すっきりしなかったらすいません。ご意見があれば、コメントに書いてくださるとうれしいです。必ずお返事いたします。
このブログでは、乃木坂46やアイドルグループに関する記事をいくつか書いています。興味があれば、他の記事も読んでみてください。
この記事はここまでです。最後まで読んでくださってありがとうございました。
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