みなさんこんにちは、このブログを書いている東急三崎口です。
この記事では、信楽高原鉄道での正面衝突事故の現場を訪れてきたルポを書きます。
信楽高原鉄道事故現場の場所
信楽高原鉄道事故が起こった場所は、滋賀県の甲賀市信楽町にあります。
新名神の信楽ICを出てすぐそこにあるので、現場に到達するのはそれほど難しくありません。
関西に住んでいれば、車さえあれば到達できるような場所にあります。
事故のあらまし
信楽高原鉄道の事故は、1991年に起こりました。単線の線路で、列車同士が正面衝突するという、近年の鉄道事故の中でも稀なケースです。
wikipediaのページには、鉄道車両同士が正面衝突している衝撃的な写真があります。
この事故で、42名の方が亡くなり、614名の負傷者が出ました。
事故原因については、wikipediaに詳しく書いてあります。信楽高原鉄道は、もともと国鉄信楽線でした。国鉄民営化を受けてJR西日本に承継されましたが、3か月後に第三セクターの信楽高原鉄道に移管されました。(1987年7月13日のことです。)
現場へ赴く
新名神の信楽ICを降りると、目の前に事故現場があります。ただ、車を止める場所が無いので近くの駐車場まで移動することになります。
近くに、信楽高原鉄道の紫香楽宮跡駅があるので、そこに車を止めることができます。
図らずも、信楽高原鉄道の営業列車を見ることができました。
紫香楽宮跡駅から現場までは、少し離れているので国道307号線を歩いて向かいます。
歩道が無くて、交通量も多い道路だったので、歩いて向かわれる方は気を付けてください。
衝突現場には、このような碑が建っています。
鉄道車両の正面衝突事故という、衝撃的な事故が起こったことを石碑が語っています。
そばには、犠牲になった方の慰霊碑がありました。
事故現場から、貴生川方面を見るとこのようになっています。
一方、信楽方面はこのようになっています。
両方向から見てカーブになっているので、衝突直前まで双方の列車に気づかなかったことは、想像に難くありません。
JR化後の鉄道事故では、信楽高原鉄道事故は、福知山線脱線事故に次ぐ死者数となっています。
30年近く前の事故ではあり、人々の記憶からは忘れられ始めているかもしれませんが、列車の正面衝突事故が起こったことを伝えている場所でもあります。
まとめ
この記事では、信楽高原鉄道での正面衝突事故の現場を訪れてきたルポを書きました。
30年以上前の事故なので、そもそも知らない方も増えているかもしれません。鉄道事故の中でも、列車同士が正面衝突するという稀有な事故の現場であり、そういう事故が起こったことを私たちは記憶しておかなければならないということを強く感じました。
御巣鷹の尾根を訪れたときにも感じましたが、当時どれだけインパクトが大きかった事件・事故であっても10年も経てば人々の記憶から忘れられてしまうものなのでしょう。
このブログでは、時々旅行記的なものも書いているので、興味がある方はこちらの記事も読んでみてください。
この記事はここまでです。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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